春秋園事件と板垣会館建設とは? わかりやすく解説

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春秋園事件と板垣会館建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:27 UTC 版)

関東國粹会」の記事における「春秋園事件と板垣会館建設」の解説

1932年昭和7年1月6日力士天竜大日本相撲協会体質改革目指し春秋園事件起こすと、大日本相撲協会は、1月12日関東国粋会調停依頼相撲協会造反した新興力士30名が2組になって一斉に断髪式行い切り落とした髷を白紙包み後援会員が代表して関東国粋会本部陳謝と共に届けた。この時、天竜本人への調停不調に終わり天竜らはその後大阪角力協会大日本関西相撲協会)を立ち上げるが、次第苦境に立つ。天竜は、自分に従って東京角力協会離脱した若い衆たちの協会復帰模索1936年昭和11年)、大東流合気柔術継承者久琢磨通じて国粋会顧問頭山満会い関東国粋会会長詫び入れた上で出羽海への仲介依頼頭山はこの取り纏め引受ける条件として、高知板垣会館の建設資金捻出のため大阪で「板垣報恩相撲」を興行するよう要請その結果1937年昭和12年1月17日天竜らは梅田阪急百貨店横に特設された土俵で「板垣報恩相撲」を興行し資金送った同年4月6日板垣会館は頭山満主賓迎えて落成し天竜らも同年夏場所最後とし、12月大阪角力協会大日本関西角力協会)を解散天竜若い衆大日本相撲協会復帰させ、自らは責任取って廃業した。しかし、天竜若い衆守り、自らは潔く責任取って廃業した事から、逆にその舎弟思い気風買われ1941年昭和16年)、相撲協会復帰し顧問就任した

※この「春秋園事件と板垣会館建設」の解説は、「関東國粹会」の解説の一部です。
「春秋園事件と板垣会館建設」を含む「関東國粹会」の記事については、「関東國粹会」の概要を参照ください。

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