日本国外の記録史料
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:36 UTC 版)
オランダ人商人(東インド会社駐在員)が陣前後の各地の様子を書き残した文書がオランダのハーグ国立文書館(オランダ語版)で見つかった。「家康に寝返る大名がいたが、寝返る前に秀頼によって突き落とされ死亡した」などの記述がある。 2018年4月に広島県立歴史博物館が、冬の陣、夏の陣の詳細な陣形を記録した最古級、最大級の陣図が見つかった、と発表した。冬の陣図は4枚組みで、中心の1枚(縦1.89メートル、横1.15メートル)に大坂城の本丸から茶臼山付近まで、他の3枚には城外で戦いに加わった大名などの配置が記録され、全体で2.5メートル四方の大きさ。夏の陣図は1枚(縦1.89メートル、横1.15メートル)で、冬の陣の中心図と対になる構成になっている。 大坂城で自害した32人(淀殿をいれて33人)は以下の通り。淀殿、大野治長、大野治徳、速水時之、速水出来丸、毛利勝永、毛利長門、高橋半三郎、高橋十三郎、埴原八蔵、埴原三十郎、中髙将藍、中髙半三郎、津川近治、竹田永翁、堀対馬守、武田佐吉、小室茂兵衛、土佐庄五郎、加藤弥平太、片岡十右衛門、森島長意、伊藤武蔵守、土肥勝五郎、真田幸昌、氏家行広、寺尾勝右衛門、阿古御局、大蔵卿局、宮内卿局、右京大夫局、玉局、饗庭局
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