日本側の資料から
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 23:09 UTC 版)
終戦から9年後の1954年、当時を知る朝日新聞記者らによって編まれた『秘録大東亜戦史 蘭印編』は、「ジャワの日本人」先覚者として、青地鷲雄を詳述する。 朝日記者河合政によれば、青地は大正期から夫婦でジャワに渡り、日本人相手のホテルを経営した。困窮する日本人には、1,2ヵ月でも無料で泊まらせ、激励しては仕事を世話した。インドネシア語はもとより、オランダ語も英語も流暢であったため、日本人の裁判には通訳を務めた。 青地が企画担当者として再び蘭印に渡った時は、既にホテル業は割込む隙もなく、仕方なく海軍の勧めで慰安所を引き受けた。必要な女性は抑留所から希望者を募り、未成年者は断って、いちいち契約書に署名させていた。 ところが敗戦を機に、青地は抑留中のオランダや混血の女性を誘拐して、軍相手の慰安婦にしたということで逮捕され、戦犯として軍事裁判に掛けられた。裁判では、希望して働いたはずの女は被害者として証言し、青地が甘言をもって誘惑し未成年者までも強制したとされ、無期を判決された。判決から数日後に獄中で死亡しているのが発見された。 慰安所で働いていた女たちも決して青地を憎んでいなかったらしい。女たちは青地を罪におとさねば、自分たちの生きる道がなかったのである、と河合は記す。
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