日光社参詣曼荼羅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 01:48 UTC 版)
日光社を描いた社寺参詣曼荼羅として、日光社参詣曼荼羅(または日光参詣曼荼羅、日光曼荼羅とも)があり、上湯川の旧家小松家に「日光三社大権現三十八社図」として伝来していたものである。本図を納めた箱には「日光三社権現三十八社御絵図入 願主小松弥助 平長盛」、箱蓋裏には「小松弥助長盛」と墨書がある。日光社に立つ明和4年(1767年)銘の石燈籠には同一人物と見られる「小松弥助長盛」とあることから、箱の新調時期は同時期と推定される。現在は掛幅装だが、参詣曼荼羅の通例として折りたたみの形跡が見られるが、使用頻度が高かったようで、折り目の角付近の損傷が大きい。成立の背景には、日光山麓における維盛伝説や『太平記』における大塔宮十津川落ち伝説に見られるような熊野信仰など、唱導の世界があったと考えられてきた。
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