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新納克己

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/27 13:15 UTC 版)

新納 克己(にいろ かつみ、1895年7月4日 - 1971年3月14日)は、昭和時代の日本外交官弁理士第二次世界大戦中に、マニラ総領事外務省通商局長を務めた。

来歴

鹿児島県出身。新納家の養子になり[1]、1916年第三高等学校二甲卒業[2]。1919年に東京帝国大学工学部土木工学科卒業[3]。1922年東京帝国大学法学部政治学科卒業[4]外務省入省(外務事務官任官[5]

在連合王国日本国大使館書記官等を経て[1]、1935年在シドニー領事[6]。1937年外務省通商局第二課長[7]。1938年外務省通商局第一課長[8]。1940年マニラ総領事[9][10]日本赤十字社マニラ特別委員長[11]

1942年に外務省通商局長を務めたのち、同年在タイ日本国大使館参事官に着任し[12]坪上貞二特命全権大使の下、日本軍進駐下のタイでの日タイ軍費交渉にあたった[13]

日本の降伏後、極東国際軍事裁判ではA級戦犯指定された東郷茂徳の補佐弁護人を務めた[14]。1950年弁理士登録[15]。1955年日米安全保障条約第3条に基く行政協定第26条による合同委員会の補助機関たる調停委員会日本政府代表[16]

日本国際連合協会理事[17]、日本タイ協会評議員なども務めていたが、病気療養中の1971年に急性肺炎のため死去した[18]。叙正四位[19]

著書

  • 『国防と平和』国際聯盟協会 1924年

脚注

  1. ^ a b 大衆人事録 第12版
  2. ^ 旧制高等学校物語 第3 図書 財界評論社 編 財界評論社, 1965
  3. ^ 帝国大学出身録
  4. ^ 東京帝国大学卒業生氏名録国立国会図書館
  5. ^ 官報 1922年04月11日
  6. ^ 官報 1935年10月12日
  7. ^ 官報 1937年04月16日
  8. ^ 報 1938年07月04日
  9. ^ 新納克巳にいろかつみ国立公文書館
  10. ^ 大阪商工会議所『大阪商工会議所史』(1941.07)渋沢社史データベース
  11. ^ 報 1941年01月04日
  12. ^ 官報 1942年10月30日
  13. ^ 日タ イ 同 盟 下 の軍 費 交 渉1941~1944東南 アジア-歴 史と文化-No.21,1992
  14. ^ Statements of Former Japanese Officials on World War II:Consul General Niiro, Katsumi(極東軍総司令部戦史部/マッカーサー元帥レポート関係文書)
  15. ^ 官報昭和25年本紙第6947号 118頁
  16. ^ 官報昭和25年本紙第6947号 118頁
  17. ^ 旧制高等学校物語 第3 図書 財界評論社 編 財界評論社, 1965
  18. ^ タイ国情報 5(1) 雑誌 (日本タイ協会, 1971)
  19. ^ 官報昭和46年本紙第13288号 18頁
先代
水野伊太郎
外務省通商局長
1942年
次代
渋沢信一



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