新武俠小説
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第二次世界大戦、国民党と共産党の内戦といった混乱期を迎え、武俠小説は一旦衰退する。この頃、中華人民共和国の成立に伴って、多くの知識人が香港や台湾に渡り、このことが新武俠小説登場の下地となった。1954年、マカオで白鶴拳の陳克夫と呉派太極拳の呉公儀の2人の武術家が対戦するという事件が起こり、香港で大変な話題となった。それに便乗する形で香港の新聞『大公報』の娯楽紙面である『新晩報』に梁羽生による『龍虎闘京華』の連載が始まり、これが「新武俠小説」の幕開けとなる。3年後には梁羽生の同僚であった金庸も『書剣恩仇録』の連載を開始、武術や恋愛に重点が置かれ、より視覚的かつ刺激的な内容の新武俠小説は、爆発的な人気を巻き起こした。新たな武俠小説の流行は台湾にも飛び火し、多数の作家を生み出す。その中でも突出した人気を誇ったのが古龍であり、金庸、梁羽生、古龍の3人は「武俠小説の三大家」と呼ばれるようになった。現在に至ってもこの3人を超える作家は登場していないとされる。香港と台湾を中心に発展した新武俠小説は、現在、一時武俠小説が排除されていた大陸でも広く読まれるようになり、また映画、ドラマなどの各種媒体への進出によって、中華圏の大衆娯楽文化でも大きな位置を占めるようになっている。またかつては低俗だとされていた武俠小説も、金庸らの登場により、文学としても堂々たる位置を占めるに至っている。
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