政界入りとハンナラ党代表就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:36 UTC 版)
「朴槿恵」の記事における「政界入りとハンナラ党代表就任」の解説
ガールスカウト団名誉総裁、 嶺南大学校理事長、財団理事長を務めた後、1998年に行われた国会議員補欠選挙(大邱広域市達城郡選挙区)に当選し政界入りし、ハンナラ党副総裁など党要職を歴任した。2002年2月にハンナラ党を離党した後、5月12日に北朝鮮の平壌を訪問して金正日と会見し板門店経由で帰国している。同年末に行われる大統領選挙に向けて新党「韓国未来連合」を5月17日に結成したが、11月にハンナラ党に復帰した。 2004年3月23日に1965年に野党民衆党の代表最高委員(党首)に朴順天(パク・スンチョン)が就任して以来、韓国では39年ぶりの女性党首としてハンナラ党の代表に就任した。2004年4月の総選挙でも大邱市達城郡選挙区から当選した。この選挙では、大統領弾劾を可決したハンナラ党に対する国民の批判が集まり惨敗が予想されていたが、朴槿恵の知名度と人気で惜敗に食い止め、「ハンナラ党のジャンヌ・ダルク」「選挙の女王」と呼ばれた。 2005年10月5日にハンナラ党代表として韓国軍のヘリコプターを用いて竹島(韓国名独島)へ上陸した。11月8日にはニューライト全国連合創立大会に参加する。また同年には中華人民共和国を訪問して胡錦濤国家主席と会見した。 2006年5月17日に日本を訪問し、小泉純一郎首相と会談した。また訪韓した北朝鮮による拉致被害者家族会・横田滋代表らとも会見している。同年5月20日午後、第4回全国同時地方選挙の支援遊説中に、暴漢・池忠浩(後に傷害罪で懲役10年)にカッターナイフで切り付けられ、骨に達する深さで右耳下から顎にかけて10センチの傷を負い60針縫う手術を受けた。この際、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領支持団体(ノサモ)からは、「60針を縫ったのは整形手術」 という声が挙がったが、それが逆に反感を呼び大統領支持派に対する批判拡大へと繋がり、地方選挙でのハンナラ党圧勝に繋がった。なお犯人の背後関係については、検察・警察の合同捜査本部による捜査の結果、「単独犯」との結論に達した。
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