横田滋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/28 20:47 UTC 版)
横田 滋(よこた しげる、1932年11月14日 - 2020年6月5日[2])は、北朝鮮による拉致被害者である横田めぐみの父、横田早紀江の夫。北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の代表を務めた。
注釈
- ^ 自由民主党の野中広務は2000年3月、島根県での演説で「日本人の拉致問題を解決しないでコメ支援はけしからんというが、日本国内で一生懸命、吠えていても、横田めぐみさんは帰ってこない」と放言している[16]。
- ^ 孫は26歳になっており、出産して曾孫ができていた。横田夫妻は記者会見で「夢のようなできごと」だったとふりかえり、孫の姿にめぐみの面影を感じたこと、めぐみの安否は聞けなかったこと、めぐみはきっと元気であり、めぐみ救出の思いを新たにしたことを語った。
- ^ 菅首相は「拉致問題は菅内閣でも最重要課題だ。先頭に立ってあらゆるチャンスを逃すことなく活路を切り開く」と述べて早期解決へ決意を表明し、生前の横田滋については「誠実な人柄と穏やかながらも強い意志に基づいた一言一言が多くの人々の心を揺さぶり、世の中を動かした」と称賛、娘との再会を果たせなかったことについて「痛恨の極みだ。政府として大変申し訳ない」と語った[25]。
出典
- ^ a b “「一刻も早く行動移して」拉致被害者がトランプ大統領と面会”. カナロコ (神奈川新聞社). (2017年11月7日) 2020年12月4日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “横田滋さん死去 87歳 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親”. NHKニュース. 2020年6月5日閲覧。
- ^ a b INC, SANKEI DIGITAL (2020年6月5日). “横田めぐみさんの父、滋さん死去 初代家族会代表”. 産経ニュース. 2020年6月5日閲覧。
- ^ a b c 日本放送協会. “横田滋さん死去 87歳 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親”. NHKニュース. 2020年6月5日閲覧。
- ^ 日本放送協会. “横田滋さん死去 87歳 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父親”. NHKニュース. 2020年6月5日閲覧。
- ^ “「早く喜びの涙流したい」 めぐみさん母、解決願い”. 日本経済新聞. 2017年11月11日閲覧。
- ^ “拉致被害者家族の横田滋さんが受洗、早紀江さんが通う教会の牧師から”. クリスチャントゥデイ. 2017年11月11日閲覧。
- ^ “拉致問題進展なく 安倍首相「断腸の思い、申し訳ない」 横田滋さん死去”. 毎日新聞. 2020年6月5日閲覧。
- ^ 横田滋写真展札幌展
- ^ 『家族』(2003)pp.34-35
- ^ 『家族』(2003)pp.36-41
- ^ 『家族』(2003)pp.43-44
- ^ 『家族』(2003)pp.50-51
- ^ 『家族』(2003)pp.9-15
- ^ a b 『家族』(2003)pp.24-26
- ^ a b c d 『家族』(2003)pp.21-22
- ^ a b 『家族』(2003)pp.28-30
- ^ 『家族』(2003)pp.31-32
- ^ 『家族』(2003)pp.51-52
- ^ 『家族』(2003)pp.55-59
- ^ a b 荒木(2005)pp.3-5
- ^ 『家族』(2003)pp.61-62
- ^ 「拉致家族会」元代表横田滋さん 血液の難病(2) - 読売新聞 ヨミドクター2009年4月12日
- ^ a b c d e f 横田滋さん 拉致と病気との闘い - NEWSポストセブン 2020年6月13日
- ^ a b 首相「拉致解決へ好機逃さず」 - 日本経済新聞2020年10月24日
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