攻撃の再開、サンドミェシュの占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 01:56 UTC 版)
「リヴォフ=サンドミール作戦」の記事における「攻撃の再開、サンドミェシュの占領」の解説
コーネフ配下の先遣部隊がヴィスワ川に迅速に到着し、バラヌフ・サンドミェルスキ(en)近辺で橋頭堡が確立された7月29日、刷新されたソビエト赤軍の攻撃が開始された。サンドミェシュ近郊におけるドイツ軍の強力な反撃はソビエト赤軍の橋頭堡拡大を阻止した。8月初旬、ハルペは一時的な平穏な時間を得、ドイツ南ウクライナ軍集団から1個装甲師団を含む5個師団が転属された。これらの部隊はサンドミェシュ周辺ですぐに戦線へ投入された。その後まもなく、さらにドイツ軍5個師団、ハンガリー軍3個師団、6個突撃旅団、第501重戦車大隊(ティーガーII戦車装備)がハルペの指揮下に置かれた。 大規模なドイツ軍の反撃がヴィスワ川の全域でソビエト赤軍を押し戻すべく開始された。ドイツ軍は基地として川の東岸とミェレツ(en)、タルノブジェク(en)を利用、これらの攻撃のためにソビエト赤軍は多数の死傷者を出すこととなった。8月中旬、コーネフ指揮下の先遣隊である第6親衛軍団はたった67両の戦車が残るだけであった。一方、ドイツ軍は第501重戦車大隊、第16装甲師団らと共に激しい反撃を開始、ティーガーII20両を含む140両の戦車が残るのみとなっていた。数で劣るにもかかわらず、ソビエト第6親衛軍団はドイツ軍のティーガーII10両を破壊して橋頭堡を確保し続けた。8月16日までにドイツ軍の反撃は力を失い始め、橋頭堡の指揮官、リバルコはサンドミェシュを占領して120Kmに及んで支配地を拡大した。両軍は消耗しきっており、戦いは消滅、ソビエト赤軍の攻撃は完了したとみなされた。
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