指揮者としての再起
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「ジョアン・カルロス・マルティンス」の記事における「指揮者としての再起」の解説
ピアニストの道を断念したマルティンスは、指揮者に転身して音楽活動を続ける。2004年にはイギリス室内管弦楽団とのアルバムを発表し、同年には自身でバシアナ・フィラーモニカ・オーケストラ (Bachiana Filarmônica Orchestra) を立ち上げて指揮者に就任する。マルティンスは自身の財団 "Fundação Bachiana Filarmônica"(バッハ・フィルハーモニー財団の意)で経済的に恵まれないブラジルの若手演奏家たちを支援しており、財団を通じてバシアナ・フィルハーモニック・オーケストラとユース・バシアナ・オーケストラ (the Bachiana Philharmonic Orchestra / the Youth Bachiana Orchestra) の2楽団を支援している。2000年代前半からは専ら指揮者として活動するようになる。 2016年リオデジャネイロパラリンピックがマルティンスの地元・ブラジルで開かれると、彼は9月7日に行われた開会式(英語版)に登場し、ブラジル国旗掲揚に合わせてブラジルの国歌をピアノ演奏した。右手の動きや神経障害性疼痛のため、今までマルティンスが受けた手術は24回にも及ぶという。彼は2019年3月にピアニストとしての演奏生活から再び引退した。 2020年9月、マルティンスは自身のInstagramアカウントで、両手に生体工学的手袋を付けながらピアノを弾く姿を公開した。この手袋はブラジルの工業デザイナー、ウビラータ・ビザーロ・コスタ(伯: Ubiratã Bizarro Costa)が設計したもので、マルティンスと共に試作品に取り組み完成させたものだという。コスタによれば3Dプリンターを用いてクロロプレンゴム(ネオプレン)を加工したもので、材料費はわずか500レアルほどだった。マルティンスが泣きながらピアノを弾く姿は、元プロバスケットボール選手のレックス・チャップマン(英語版)がTwitterに投稿するなど広く拡散され、マルティンスのInstagram投稿が30万回以上再生されるなど大きな反響を呼んだ。2020年12月3日には『奇跡体験!アンビリバボー』で特集され、日本に縁がなかったというマルティンスが初めて日本メディアのインタビューに応じた様子が放送された。手袋を手に入れたマルティンスは、ピアニストとしてのキャリアも再開させている。
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