戦艦ウエスト・ヴァージニアとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 戦艦ウエスト・ヴァージニアの意味・解説 

ウェストバージニア (戦艦)

(戦艦ウエスト・ヴァージニア から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 10:08 UTC 版)

ウェストバージニア (USS West Virginia, BB-48) は[注釈 2]アメリカ海軍戦艦[3][注釈 3]コロラド級戦艦の4番艦[注釈 4][注釈 5]。 艦名はウェストバージニア州にちなむ。その名を持つ艦としては2隻目にあたる[注釈 6]。 「ウィー・ヴィー」 (Wee Vee) や「山男の戦艦」 (Mountaineer Battlewagon) の愛称があった[12]


注釈

  1. ^ a b c 【メリーランド型】ウエストヴアージニア號[104](戰闘部隊戰艦旗艦兼第四戰艦隊旗艦、アンダーソン少将坐乗、艦長マークランド大佐) メリーランド號(艦長マツキー大佐)要目=一九二一年竣工、排水量三万千五百トン、速力二〇.七ノツト、主砲十六インチ砲八門、副砲五インチ砲十二門、高角砲五インチ砲八門
  2. ^ 日本語ではウェストヴァージニヤ[注釈 1]ウヱストヴァージニア[3]ウェストバージニヤ[4]ウェスト・ヴァージニア[5][6]と表記することもある。
  3. ^ 戰艦“ウエスト・ヴアジニア West Virginia[7] 全要目{排水量31,800噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1920年4月 竣工1923年12月 建造所 ニューポートニュース造船所} 排水量は一寸大きいが外はすべてメリーランドと同一の要目。この寫眞では後部砲塔の上と後甲板とにカタパルトを装備してゐるのがよく判る。今日まで永い間名のみ著名なる大戰艦として、閑地にあつたが、主として巡洋艦の建造で發達した新時代の造船技術は、徹底的に、この大戰艦を改造し新らしい35,000噸戰艦として再誕生させることであらう。主砲と、その射撃装置、航空機に對する兵装等改善すべきところは非常に多い。また速力も増さなければなるまい。
  4. ^ 日本ではウェストバージニヤ型と表記したこともある[8][9]。アメリカ側の報道や日本海軍の将校でも[10]、最初に完成したメリーランド (USS Maryland, BB-46) をネームシップとしてメリーランド級戦艦と呼称することもある[11]
  5. ^ 亞米利加合衆國 戰艦メェリーランド(一九二一年七月竣工)[6] 基準排水量三一五〇〇噸。(全載量三三五九〇噸、時速二一節。一九一六年、第四六號艦として認可。コロラド(四五號艦)及びウェスト・ヴァジニア(四八號艦)と同型。旗艦たるに適ふ。砲塔並びに後尾甲板上に各々一基カタパルトを有す。幾らか全載量の大なる外は殆どカルフルニア級と大同小異。華府海軍條約に依り廢棄。
  6. ^ 初代はペンシルベニア級装甲巡洋艦ウェストバージニア (USS West Virginia, ACR-5) で、2代目の本艦に名前を譲ってハンチントン (USS Huntington, CA-5) と改名された。3代目はオハイオ級原子力潜水艦ウェストバージニア (USS West Virginia, SSBN-736) 。
  7. ^ 撃滅された米主力艦の性能(略)[16] (2)メリーランド型=代表艦はメリーランドで排水量三萬一千五百噸 一九二一年完成、十六インチ砲八門、五インチ砲二十門の装備を有し速力は二十一節、ウエストヴアーヂニア(三一,八〇〇噸)とコロラド(三二,五〇〇噸)が姉妹艦である(寫眞(2)はウエストヴアーヂニア)(以下略)
  8. ^ 一、敵方損害[17] ◇撃沈 戰艦五隻{オクラホマ、アリゾナ、ユタ(以上米確認) カリフォルニヤ型、ウエストバージニヤ型(中略)註 一、昭和十六年十二月八日、同十八日、翌十七年三月六日の大本營發表に依る/二、カリフォルニヤ型はカリフオルニヤ及びテネシーの二艦、メリーランド型はメリーランド及びウエストバージニヤの二艦をいふ。但しメリーランド型一隻は一九四二年五月二十一日南米沖大西洋岸に於て伊太利潜水艦に依り撃沈された旨政府は發表した。從つてメリーランド型は二艦とも撃沈されたわけである)(以下略)
  9. ^ ウェストバージニア級戦艦の呼称は[22]、第二次世界大戦以前から使用されている[23]
  10. ^ 列國艦艇一覧表(昭和十一年十二月三十一日調)[24] 〔 國別:米國|現状:既成|艦名:ウェスト・ヴァジニア(48) }電氣推進|排水量:三一,八〇〇|速力:〃(二一.〇)|備砲 主砲:〃(四〇-八)/副砲:〃(一三-一二)|魚雷發射管(糎)數:―|竣工年月日(西暦):二三.一二 〕〔備考〕艦名欄の數字ハ公稱番號ヲ示ス、33-42ノ一〇隻ハ改造濟ナリ、尚産業復興費ニヨリ43以下ノ五戰艦ヲ改装セントシツヽアリ(以下略)〕
  11. ^ 戰艦“ウヱスト・ヴアジニア West Virginia[25] 全要目{排水量31,800噸 速力21.0節 備砲40糎砲8門 12.7糎高角砲12門 魚雷發射管(53糎水中)2門 起工1920年4月 竣工1923年12月 建造所 ニューポートニュース造船所} ウヱスト・ヴアジニアは米國戰艦中の最新艦で排水量が31,800噸である外はすべてコロラドと同一の要目。この寫眞では後部砲塔の上と後甲板とにカタパルトを装備してゐるのがよく判る。米國の三大戰艦と見て我が長門及び陸奥と比較するとき最も注目を惹くのは速力である。我が23節に對し彼は21節に甘んじてゐるのは何故か。/これは云ふまでもなく米海軍が遠洋作戰に重きを置いてゐることを暗示するものである。即ち短期間の行動より長期間の行動へ、自國海面に於ける運動よりも遠洋に作戰を期するがためである。然し漸次速力の改造は進められつゝある。見る如く未だにカゴマストであるが已に之等も全部改装することになつてゐる。
  12. ^ a b 第二章 本條約實施ニ關スル規則及用語ノ定義  第一節 締約國ノ保有シ得ヘキ主力艦[69] 各締約國ハ第二條ノ規定ニ從ヒ本節ニ掲クル軍艦ヲ保有スルコトヲ得 合衆國ノ保有シ得ヘキ軍艦 艦名「メリーランド」噸數三二,六〇〇(中略)第二條ノ規定ニ從ヒ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ且「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ヲ廢棄シタル上ハ五十二萬五千八百五十噸ナリ(以下略)
  13. ^ a b その情景は“戦艦通り Battleship Row”と呼ばれていたという。“戦艦桟橋”、“戦艦横丁”[33]と翻訳した資料もある。
  14. ^ 西村艦隊の戦艦扶桑はアメリカ軍水雷戦隊の雷撃で沈没しており、アメリカ戦艦部隊は関与していない[44]
  15. ^ 大和型戦艦18.1インチ砲を装備した満載排水量7万トン級戦艦だったが[46]、アメリカ海軍の認識では45,000トン級戦艦であった[47]
  16. ^ 建造中の米海軍精鋭[51] 本年四月一日附の調査に依れば米國海軍の精鋭たるべき超弩級艦十一隻は将に完成せんとしつゝありキャルホルニヤの既に九六一パーセント完成せるを初めとして コロラド六九.三、メリーランド九六.八、ワシントン六一.二、ウヱスト・バヂニヤ四九.五、サウス・ダコタ二六.七 インデヤナ二三.一、モンタナ一八、ノース・カロライナ二七.二、アイオワ一六.一、マサチュセッツ二.五の割に完成せるが二三隻を除きては總て建造を急ぎ居り(華府)(記事おわり)
  17. ^ (前略)第二艦の「陸奥」は華府會議の際既に竣工してゐたにも拘らず、米國が未成艦なりと主張して譲らなかつた爲に喧ましい問題となり、遂に「陸奥」を生かす代りに、米國は當時建造中の十六吋砲戰艦「コロラド」「ウェスト・ヴァージニア」の二艦を生かし、英國は新たに「ネルソン」「ロドネー」の十六吋砲戰艦二隻を建造することになつて鳧がついたことは有名な史實である(以下略)[53]
  18. ^ 修正された海軍縮小案 日英米佛伊五國協約として調印せん[67](華府十二月十五日發)本夜國務省は正式に日英米三大國海軍主力艦五五三比率が協定に達した旨發表した。日本は其要求通り舊艦攝津の代りに陸奥を保留し、米國はデラウエヤ及びノースダコタの代りにメリーランド級のコロラドとワシントンを保留、英國はメリーランド及び陸奥級の超弩級艦二隻を新たに建造し其の代りに保留と決し居る四隻を廢棄するであらう。(以下略)
  19. ^ 第一節 主力艦/(一)總説(中略)[68]更に又華府會議の結果として、一旦廢棄の運命に在つた我戰艦陸奥が復活され、之と均衡を保つべく米國に於てはコロラド及ウエスト・ヴアジニアの二艦を竣工就役させ、英國は新たにネルソンロドネーの二隻を建造することとなつた。(米國戰艦コロラド、要目および寫眞)
  20. ^ 第二條[23] 締約國ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ヲ各自保有スルコトヲ得本條約實施ノ上、合衆國、英帝國及日本國ノ既成又ハ建造中ノ他ノ一切ノ主力艦ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ但シ本條中ノ左ノ諸規定ヲ留保ス
    合衆國ハ第二章第一節ニ掲クル主力艦ノ外現ニ建造中ノ「ウェスト、ヴァージーニア」級二隻ヲ完成シ之ヲ保有スルコトヲ得 右二隻完成ノ上ハ「ノース、ダコータ」及「デラウェーア」ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ
    英帝國ハ第二章第三節ノ代換表ニ從ヒ基準排水量各三萬五千噸(三萬五千五百六十「メートル」式噸)ヲ超エサル新主力艦二隻ヲ建造スルコトヲ得右二隻完成ノ上ハ「サンダラー」「キング・ジョージ」五世、「エージャックス」及「センチューリオン」ハ第二章第二節ノ規定ニ從ヒ之ヲ處分スヘシ
  21. ^ 8代目のワシントン (USS Washington,BB-47) は、1919年(大正8年)6日30日に起工、1921年(大正10年)9月12日に進水、1923年(大正12年)11月10日に廃棄が決定した。1924年(大正13年)11月下旬に各種爆破実験と艦砲射撃の標的となって沈没した[71]ノースカロライナ級戦艦2番艦のワシントン (USS Washington, BB-56) は9代目。
  22. ^ 海軍協定案公表[72](中略)二、日本は『攝津』を廢棄し『陸奥』を加へ米國は『ノースダコタ』『ベラウェア』の除き『ワシントン』及『コロラド』を加へ英國は英國噸數に於て三万五千噸以下のもの二隻を新造しキングジョージ五世級四隻を廢棄てす(以下略)
  23. ^ ニューポート・ニューズ社はレキシントン級巡洋戦艦2番艦コンステレーション (USS Constellation, CC-2) と同級4番艦レンジャー (Ranger,CC-4) を建造中だったが、ワシントン軍縮条約により2隻とも建造中止となった。[75]
  24. ^ 戰艦“長門 ながと”[77] 全要目{排水量32,720噸 速力23.0節 備砲 40糎砲8門 14糎砲20門 12.7糎高角砲8門 魚雷發射管6門 起工大正6年8月 竣工大正9年11月 建造所 呉海軍工廠} 長門は40糎砲といふ巨砲を世界で初めて搭載した戰艦であり、艦型に於ても從來のものを完全にノツクアウトし、列強海軍をして瞠若たらしめた艦である。從來先進列強にとかく後塵を拝せしめられてゐた帝國は一躍世界をリードする日本たることを證明したのである。新鋭長門は今や聯合艦隊主力として海軍無條約時代に備ふ我海軍たのみの艦である。戰艦は艦隊の根幹でありその價値は搭載する主砲の威力と防禦設備如何に依つて決定される。主砲は敵主力艦隊を撃滅するものであり、副砲は主として來襲する敵の輕快部隊に備へるものである。世界の七大戰艦とは、我が“陸奥” “長門” 英の“ネルソン” “ロドニー” 米の“ウエスト・ヴァジニア” “コロラド” “メリーランド”の七艦である。
  25. ^ 日本近信 十一名の遺骨をのせて練習艦隊歸る 無電羅針局設置の急を説く百武司令官[81] 昨年十一月十日横須賀を出港した百武中将の率ゆる練習艦隊八雲、出雲、淺間は南北アメリカの兩海岸及び南洋を巡航し二萬浬を走破して四月四日午前九時横須賀に歸港した出雲艦はヴァンクーヴァーで汽艇の沈没により悲惨な死を遂げた下士官兵十一名の遺骨を搭載して來た(中略)米國海軍省がその最新鋭の戰艦ウエストヴァージニア。メリーランド。コロラドの三隻をワイレー中将の指揮の下に接待の任務を以て廻航させた外種々の催しを爲し我が艦隊を歡迎してくれた(以下略)
  26. ^ 自序[83] 大正十三年から十四年にかけて、帝國海軍練習艦隊(淺間、八雲、出雲の三艦、司令官は百武中将・現侍從長)は横須賀を發し、布哇、アカブルコ(墨國)、パナマ、マンザニオ(墨國)桑港 バンクーバー、ホノルル等を經て南洋委任統治領を巡航した。余は淺間艦長として、この練習航海に從事したが、桑港碇泊中、米東洋艦隊の精鋭『ウエストバーヂニヤ』『コロラード』『メリーランド』の三艦が接伴艦として歡迎これ努めた。/ 當時米國は皇國に對し、殆んど禁止的とも見られる移民大制限を斷行した直後であり、皇國の與論も、嘗て見ざるほどの沸騰を惹起しつつあつた折柄、米國民上下は、日本が如何なる態度に出るかに就いて、異常な注目を集中してゐた。(以下略)
  27. ^ 無限の感慨を殘し練習艦隊出港 七臺の飛行機と米艦乗總員の登舷禮に送られて海を壓する軍樂交換[85](中略)兩司令官の別辭 固き握手は日米親善の明な現れ午前七時半我が百武司令官は各艦長幕僚を從へ米艦隊旗艦ウエストバーヂニアにワイレー司令官を訪ひ無量の感慨を短い言葉に託して感謝と別辭とを殘して歸艦すれば之に應ずべくワイレー中将も午前八時半幕僚を從へ旗艦淺間に至り別辭と共に之を通じて固く恒久なるべき日米兩國の親交を希望して去る。(中略)荘嚴なる君ヶ代勇ましき軍歌と兩海軍歡呼の聲 やがて正一時重き錨がスルすると捲上げられると見る内に浮城の如き巨艦淺間が先づ徐々に行進し續いて出雲、八雲も之に從ふ。米艦隊のウエスト・バーヂニア、メリーランド、コロラド、アイダホの四艦總員は此の時登舷禮を行ひ二聲三聲我が艦と喇叭の別辭があるウェスト・バーヂニアからは湧くが如く君ヶ代の軍樂が海面を渡つて響き、次で米國々歌と送別の、『螢の光』の曲が奏せられる。空には爆音勇ましく 七臺の米陸軍飛行機が雁行し 又相亂れ飛び幾回となく我が三艦をかすめて低空飛行を試みその都度我が将士が帽をふって應ずる。米艦からは萬歳の聲が雷と鳴り、我も亦萬歳三唱と共に米國々歌と『攻めるも守るもくろがねの…』の軍樂が淺間より起つて實に 壮美極り なく互に感激あふれて未曾有の史的光景を點出した。淺間の軍樂隊は尚も『螢の光』を奏して其の響の薄れ行くと共に艦影も又金門灣のあなたに棚曳く煙をのこして消ゑ行いた。(記事おわり)
  28. ^ 再軍備宣言後により、ドイツ共和国海軍 (Reichsmarine) がドイツ海軍 (Kriegsmarine) となる。
  29. ^ 米國海軍の現有勢力(一九三七年七月一日)[96] (一)主力艦 一五隻 この内一〇隻は既に改装濟であつて、再改装をするものもある。我が「長門」「陸奥」に匹敵する四〇糎砲主力艦は、「メリーランド」「コロラド」「ウェスト・ヴァ―ヂニア」の三艦である。
  30. ^ アンダーソン少将の着任は、1941年(昭和16年)1月下旬であった[105][106]
  31. ^ NHKアーカイブス「特報ハワイ大空襲」、メリーランド型戦艦と戦艦横丁の映像[107]
  32. ^ メリーランドの前方には給油艦ネオショーと戦艦カリフォルニアが、戦艦アリゾナの後方には戦艦ネヴァダが停泊していた[111]
  33. ^ (前略)劈頭の第一撃はフオード島東側泊地の敵大主力艦群に向けられた。/ 眞珠灣深くフオード島寄りにオクラホマ型(ネバダ)につゞいたオクラホマ型と特務艦、次にアリゾナ型(テネシー)とメリーランド型(ウエスト・ヴアージニヤ) アリゾナ型(アリゾナ)メリーランド型(メリーランド)とが、それぞれ二隻宛舷を摩し、少しはなれたところにカリフォルニヤ型(カリフオルニヤ)對岸の海軍工廠内深くカリフオルニヤ型(ペンシルバニヤ)が見事な艦列を敷いてならんでゐた。/ 眞珠灣には、標高千餘米の山嶺が、西側にせまつてゐる。編隊をもつて雷撃することは、きはめて困難なことである。[113](以下略)
  34. ^ 村田大尉機もウェストバージニアに魚雷を命中させ「われ、敵主力を雷撃す、効果甚大」と打電している[118]
  35. ^ もしネオショーが被弾、燃料に引火して大爆発をおこしたら[126]、周辺の戦艦達は焼き尽くされていた筈である[127]
  36. ^ 水平爆撃隊50機(淵田機含む)の内訳は[131]、赤城15、加賀15、蒼龍10、飛龍10[132]
  37. ^ 日本側記録ではウェストバージニアに800kg徹甲爆弾3発、加賀急降下爆撃隊が250kg爆弾1発命中[8][135]
  38. ^ ベニオン艦長を記念し、フレッチャー級駆逐艦の1隻がベニオン (USS Bennion,DD-662) と命名された。後日、レイテ沖海戦でウェストバージニアと同じく第77任務部隊に所属した[139]
  39. ^ ミラーは、ウェストバージニアのヘビーウエイト級ボクシングのチャンピオンであった[140]。戦闘配置は対空火器弾薬庫。
  40. ^ ミラー達は負傷したベニオン艦長を艦橋から運び出すように命じられたが担架がなく、担架が届くまで対空戦闘に従事したという[142]
  41. ^ 後日、ミラーは護衛空母リスカム・ベイ (USS Liscome Bay, CVE-56) に配属され、同艦沈没時に戦死した(ガルヴァニック作戦)。彼を記念して、アメリカ海軍はフリゲート艦ミラー (USS Miller, FF-1091) を建造し、原子力空母ドリス・ミラー (USS Doris Miller, CVN-81) の建造を予定している。
  42. ^ 対空警戒用レーダーも、前部マスト頂武にSK型を、後部の棒状マストの頂部にSC型を搭載した[145]
  43. ^ 損傷しながら海峡から脱出した最上だったが、昼間の航空攻撃で致命傷を受け[161]、救援にきた駆逐艦(第7駆逐隊)に処分された[162]。逃げ遅れた朝雲は追撃してきたオルデンドルフ部隊によって撃沈された[163]

出典

  1. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 194aWWII米戦艦・大型巡洋艦主要目一覧表/テネシー級とコロラド級
  2. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 195コロラド級/ウェスト・ヴァージニア(1945)
  3. ^ a b 軍艦写帖 1930, p. 121(米國)戰艦ウヱスト・ヴアージニヤ
  4. ^ 戦史叢書10 1967, p. 354.
  5. ^ 海軍読本 1937, p. 127(原本233頁)米國戰艦ウェスト・ヴァージニア 排水量31,800噸、速力21.0節、主砲40糎8門、進水1921年11月(本艦正面写真掲載)
  6. ^ a b 世界海軍大写真帖 1935, p. 42.
  7. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 96(原本174-175頁)戰艦ウエスト・ヴアージニア
  8. ^ a b 戦史叢書10 1967, p. 358.
  9. ^ a b c 日、英、米三大海軍國の主力艦々齡比較 長門、陸奥級十五年で最も古し”. Shin Sekai Asahi Shinbun. pp. 01 (1936年8月10日). 2023年10月12日閲覧。
  10. ^ a b Burajiru Jihō, 1922.02.03”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月8日閲覧。〔 ●太平洋の平和確保(上)海軍中将加藤寛治
  11. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127a(コロラド級)建造の経緯
  12. ^ Ship Nicknames”. www.zuzuray.com. 2019年4月29日閲覧。 同州の別称がState of Mountainで、州民をMountaineerと呼ぶ。
  13. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 124a-127最後の標準型戦艦「コロラド」級(別称「メリーランド」型)
  14. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 121–127アメリカ戦艦発達史(第4章)5大戦艦「テネシー級」&「コロラド」級/第一次大戦型米戦艦完成型「テネシー」級と16インチ砲艦「コロラド」級
  15. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 128a-131アメリカ/メリーランド級
  16. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, p. 32原本41頁
  17. ^ 海軍作戦史 1943, pp. 22–23(原本33-35頁)
  18. ^ a b 条約本文 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  19. ^ a b Shin Shina, 1922.02.26”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月8日閲覧。〔 海軍軍備制限條約 外務省公表 〕
  20. ^ 海軍要覧、昭和19年版 1944, p. 60.
  21. ^ a b c d e 来島, 聡 著、市村 弘 編『世界の戦艦プロファイル ドレッドノートから大和まで』大日本絵画、東京都千代田区、2015年、77頁。ISBN 9784499231527 
  22. ^ 日米果して戦ふか? 1931, pp. 122–123(原本214-216頁)二、一九三六年末に於ける日米海軍力〔アメリカ海軍力〕
  23. ^ a b c d 帝国法規、外交篇 1933, p. 561原本570-571頁
  24. ^ 海軍読本 1937, p. 201原本381頁
  25. ^ a b c ポケット海軍年鑑 1935, p. 108(原本198-199頁)戰艦ウヱストヴアジニア
  26. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 94–97戦艦コロラド級/40cm主砲を搭載したビッグセブンの一角
  27. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 73■アメリカの戦艦(解説)
  28. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 44–48戦艦長門
  29. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, pp. 45(原本67頁)ハワイ海戰の輝く大戰果(昭和十六年十二月八日)
  30. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 18–24真珠湾攻撃
  31. ^ a b トラトラトラ 2001, p. 294真珠湾奇襲戦果図
  32. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, pp. 20–21真珠湾攻撃時の艦艇配置図
  33. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 32.
  34. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 182–183付表/機動部隊ハワイ攻撃隊の編制と指揮官たち
  35. ^ a b スミス、パールハーバー1941 2009, p. 77■アメリカ軍の損失
  36. ^ 大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録(1) 1942, p. 19(原本12-13頁)航空部隊緒戰の大戰果
  37. ^ a b awaii Times, 1943.05.24”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 04. 2023年9月8日閲覧。〔 眞珠灣の引揚げ作業 〕
  38. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 130.
  39. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 96.
  40. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 154–163アメリカ戦艦発達史(第8章)第二次大戦中の旧式米戦艦の改装
  41. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 95.
  42. ^ ニミッツ 1962, p. 第42図 レイテ作戦における米国の主要海軍兵力および指揮系統.
  43. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 30–33戦艦 山城/米戦艦隊に最後の戦いを挑んだ旧式戦艦
  44. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 26–29戦艦 扶桑
  45. ^ a b ニミッツ 1962, pp. 440–441.
  46. ^ 巨艦大和の雄姿 在りし日の世界最大戰艦”. Hawaii Times. pp. 11 (1946年1月7日). 2023年10月12日閲覧。
  47. ^ a b 米航空母艦、九州沖で戰艦大和四萬五千噸級を撃沈 ニミツ元帥が大戰果發表”. Hawaii Times. pp. 01 (1945年4月7日). 2023年10月12日閲覧。
  48. ^ a b 沖縄へ決死使命遂行に赴き 戰艦大和は撃沈さる 東京朝日新聞により報道”. Hawaii Times. pp. 04 (1945年9月28日). 2023年10月12日閲覧。
  49. ^ a b ポケット海軍年鑑 1935, p. 107(原本196-197頁)戰艦コロラドとメリーランド(右)
  50. ^ 海軍要覧、昭和19年版 1944, p. 115(原本198-199頁)ウェスト・ヴァジニア
  51. ^ Shin Sekai, 1921.04.27”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月8日閲覧。
  52. ^ 戦史叢書31 1969, pp. 295–299会議の概況
  53. ^ 海軍読本.第20号 1939, p. 49原本82頁
  54. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 100–101日本/長門級
  55. ^ 匝瑳胤次、軍縮会議 1934, p. 13原本16頁
  56. ^ 海戦の変貌 1943, p. 177(原本316-317頁) ロ、長門、陸奥斯くて出現
  57. ^ a b 海軍五十年史 1943, pp. 144–146(原本266-271頁)五・五・三の比率
  58. ^ 海戦の変貌 1943, pp. 20–21(原本3-5頁) イ、廿年の隱忍遂に爆發
  59. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 50–53戦艦陸奥
  60. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 72(原本126-127頁)戰艦陸奥艦上より航母赤城を望む
  61. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 88–90条約型戦艦
  62. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 64–67イギリス/ネルソン級
  63. ^ 建艦競爭をめぐる昭和の三國干渉(下)◎◎老獪英國を痛撃する◎◎”. Kona Hankyō. pp. 03 (1938年6月29日). 2023年10月12日閲覧。
  64. ^ 戦史叢書31 1969, p. 296.
  65. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 60–63イギリス/フッド級
  66. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 95(原本172-173頁)戰艦メリーランド
  67. ^ Nippu Jiji, 1921.12.16”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月8日閲覧。
  68. ^ 海事参考年鑑、大正13年版 1924, pp. 17–18原本4-6頁(サルストン氏計畫の戰艦)
  69. ^ 帝国法規、外交篇 1933, p. 563原本574頁
  70. ^ 戦史叢書31 1969, pp. 299–303ワシントン条約
  71. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 32.
  72. ^ Shin Shina, 1921.12.20”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 01. 2023年9月8日閲覧。
  73. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127b.
  74. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 36–38軍縮条約と各国の実情
  75. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 120ps=(原本222-223頁)航空母艦 レキシントン.
  76. ^ ポケット海軍年鑑 1935, p. 10(原本2-3頁)戰艦陸奥
  77. ^ ポケット海軍年鑑 1937, p. 11原本4-5ページ(戦艦長門)
  78. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 90–93戦艦テネシー級/スリガオ海戦で日本戦艦に復仇を果たす
  79. ^ ジョーダン、戦艦 1988, p. 128b.
  80. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 127c(コロラド級)就役後の評価
  81. ^ Nippu Jiji, 1925.04.25”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 06. 2023年9月8日閲覧。
  82. ^ Nichibei Shinbun, 1925.01.24”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月8日閲覧。
  83. ^ 海戦の変貌 1943, p. 5原本1頁
  84. ^ Shin Sekai, 1925.01.25”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 05. 2023年9月8日閲覧。〔 ◎帝國練習艦隊入港より出港迄の詳細順序 昨日總領事官より發表さる 〕
  85. ^ Nichibei Shinbun, 1925.01.31”. Hoji Shinbun Digital Collection. pp. 03. 2023年9月8日閲覧。
  86. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 30–35ドイツ/ドイッチュラント級
  87. ^ 海軍読本 1937, pp. 153–157(原本285-292頁)躍進する獨逸海軍
  88. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, pp. 8–11戦艦の新造
  89. ^ 海軍読本 1937, pp. 64, 159(原本106-107頁),(296-297頁)
  90. ^ 建艦競爭をめぐる昭和の三國干渉(中)◎◎老獪英國を痛撃する◎◎”. Kona Hankyō. pp. 04 (1938年6月22日). 2023年10月12日閲覧。
  91. ^ 海軍読本 1937, pp. 120–122(原本219-222頁)海軍軍備無條約時代
  92. ^ 米英艦隊撃滅 1942, pp. 74–75原本130-132頁
  93. ^ 米英艦隊撃滅 1942, pp. 54–55原本90-93頁
  94. ^ 戦艦の話 1938, pp. 56–57(原本98-100頁)第二表 建造中の列國戰艦(昭和十二年十二月調)
  95. ^ 海軍読本 1937, p. 128原本234-235頁
  96. ^ 海軍読本 1937, p. 126原本231頁
  97. ^ ニミッツ 1962, p. 19第1図 1941年12月7日午前7時55分の真珠湾
  98. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 12–13.
  99. ^ 連合艦隊参謀長 1979, p. 72真珠湾攻撃における機動部隊の編成
  100. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, pp. 97–100パールハーバー奇襲
  101. ^ トラトラトラ 2001, pp. 230–231真珠湾攻撃飛行機隊編成区分表
  102. ^ 海軍作戦史 1943, p. 11(原本10-11頁)アメリカ艦隊編制表
  103. ^ 米英艦隊撃滅 1942, pp. 59–61原本101-103頁
  104. ^ 南方圏要覧 1942, p. 202原本385頁
  105. ^ Four Admirals Due On Lurline Tomorrow”. Nippu Jiji, 1941.01.28. pp. 07. 2024年3月3日閲覧。
  106. ^ (着任したアンダーソン少将の写真)”. Nippu Jiji, 1941.01.29. pp. 03. 2024年3月3日閲覧。
  107. ^ 特報ハワイ大空襲”. NHKアーカイブス. 2023年9月23日閲覧。
  108. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, pp. 50–51真珠湾 第一次攻撃0750~0810時
  109. ^ 戦史叢書10 1967, p. 003a付図第三 空襲時真珠湾在泊艦船碇泊位置(真珠湾攻撃記録)
  110. ^ 淵田美津雄 2010, p. 153真珠湾攻撃襲撃図
  111. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 1441941年(昭和16年)12月7日朝、パールハーバーにおける米太平洋艦隊の配置
  112. ^ 大東亞戰爭海軍作戰寫眞記録(1) 1942, p. 16(原本6-7頁)船體切斷重油流出(直上から撮影した米戦艦部隊写真)
  113. ^ 海軍航空戦記(1) 1944, p. 18原本14-15頁
  114. ^ a b 海軍魂 1996, p. 73(真珠湾攻撃飛行機隊編成)
  115. ^ 連合艦隊参謀長 1979, p. 62ハワイ攻撃隊編成表
  116. ^ 母艦航空隊 2013, pp. 129–131魚雷発射の瞬間に浮いた機体
  117. ^ トラトラトラ 2001, pp. 282–284.
  118. ^ 海軍魂 1996, pp. 96–103眼下の真珠湾
  119. ^ 戦史叢書10 1967, p. 004a付図第四 機動部隊戦果判定図(第一航空艦隊戦闘詳報 図面第一号)
  120. ^ 淵田美津雄 2010, p. 112.
  121. ^ a b c 戦史叢書10 1967, p. 387.
  122. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 73–77雷撃
  123. ^ ニミッツ 1962, p. 21.
  124. ^ パール・ハーバー 1991, p. 95小康状態の真珠湾
  125. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 166.
  126. ^ スミス、パールハーバー1941 2009, p. 48.
  127. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 182.
  128. ^ バーガー、PEARL HARBOR 1984, p. 151.
  129. ^ パール・ハーバー 1991, pp. 78–82水平爆撃
  130. ^ ハワイ海戦、マレー沖海戦 1942, pp. 35–36(原本46-48頁)我奇襲に成功せり ハワイ空襲部隊指揮官○○中佐實戰談
  131. ^ 淵田美津雄 2010, p. 137.
  132. ^ 戦史叢書10 1967, p. 333.
  133. ^ 戦史叢書10 1967, pp. 134–136水平爆撃/徹甲爆弾
  134. ^ 母艦航空隊 2013, pp. 116–118アリゾナ撃沈にいたるまで
  135. ^ 戦史叢書10 1967, p. 004b付図第四
  136. ^ パール・ハーバー 1991, p. 124.
  137. ^ トラトラトラ 2001, pp. 287–288.
  138. ^ 海軍の英雄十四名へ 最高の海軍勲章授與”. Nippu Jiji, 1942.04.02. pp. 01. 2024年3月3日閲覧。
  139. ^ a b Leyte 1971, p. 202.
  140. ^ トラトラトラ 2001, p. 292.
  141. ^ パール・ハーバー 1991, p. 81.
  142. ^ a b スミス、パールハーバー1941 2009, p. 52.
  143. ^ Navy,Flying Crosses Awarded To Fleet Heroes”. Nippu Jiji, 1942.05.28. pp. 03. 2024年3月3日閲覧。
  144. ^ a b 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 14.
  145. ^ a b c d 歴群58、アメリカの戦艦 2007, p. 162.
  146. ^ 歴群58、アメリカの戦艦 2007, pp. 160–162●「テネシー」級と「ウエスト・ヴァージニア」
  147. ^ ニミッツ 1962, pp. 324–330スリガオ海峡海戦
  148. ^ Leyte 1971, p. 100aスリガオ海峡の戦闘 1944年10月24日夜~25日
  149. ^ Leyte 1971, pp. 200–205レイテ海戦の日米両国艦隊編成 一九四四年十月二十三日~二十六日
  150. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 185.
  151. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 330–331まず西村部隊潰ゆ
  152. ^ Leyte 1971, pp. 101–102手ぐすねひく米国艦隊
  153. ^ Leyte 1971, pp. 105–106米水雷戦隊の活躍
  154. ^ Leyte 1971, pp. 106–112日本駆逐隊に大損害
  155. ^ Leyte 1971, p. 100bスリガオ海峡夜戦航跡図
  156. ^ ニミッツ 1962, p. 327.
  157. ^ Leyte 1971, pp. 113a-114日本艦隊をレーダー砲撃
  158. ^ Leyte 1971, pp. 113b-114.
  159. ^ Leyte 1971, pp. 115–116西村提督、艦と運命を共に
  160. ^ Leyte 1971, pp. 114–115同士打ちの醜態
  161. ^ ニミッツ 1962, p. 329.
  162. ^ Leyte 1971, pp. 116–117奮戦つづける「最上」
  163. ^ Leyte 1971, p. 117最後まで砲撃した「朝雲」
  164. ^ ニミッツ 1962, p. 434.
  165. ^ マッキンタイヤー、空母 1985, p. 201.
  166. ^ 連合艦隊参謀長 1979, pp. 356–358「大和」瞬時にして沈む
  167. ^ a b Navsource images (USS Whipple, DE 1062)


「ウェストバージニア (戦艦)」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戦艦ウエスト・ヴァージニア」の関連用語

戦艦ウエスト・ヴァージニアのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戦艦ウエスト・ヴァージニアのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウェストバージニア (戦艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS