戦渦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 02:19 UTC 版)
『白貂を抱く貴婦人』は19世紀にヨーロッパを転々とした。1830年にロシア帝国からのポーランド独立を目指した11月蜂起が起こり、これを鎮圧しようとするロシア軍の侵攻から守るために、イザベラ・チャルトスカはこの絵画を隠匿した。その後絵画はドレスデンへ送られ、さらに11月蜂起の失敗で亡命を余儀なくされた、アダム・イエジィのパリでの滞在先オテル・ランベール (Hôtel Lambert) に運ばれた。最終的にクラクフへ戻されたのは1882年になってからである。 第二次世界大戦の1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻によってこの絵画はナチスに収奪され、ベルリンの博物館島にあるカイザー=フリードリヒ博物館(現在のボーデ博物館)へと送られた。1年後の1940年にはナチスの高官でポーランド総督ハンス・フランクが、自身の豪奢な執務室に飾るためにクラクフへ戻すよう要求している。その後の行方は分からなくなっていたが、第二次世界大戦終結時に連合国兵士によってバイエルンにあるフランクの家で無事発見された。大戦終結後にポーランドに返還され、現在は元通りクラクフのチャルトリスキ美術館に展示されている。
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