戦後協調体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 14:29 UTC 版)
第一次大戦後のイギリスの国際政治は戦後協調体制の確立から始まった。ドイツ(帝政崩壊後、ヴァイマル共和政)に対する処分はヴェルサイユ条約によって決定したが、ドイツの植民地剥奪、一部領土の縮小、軍備の制限、巨額の賠償金の要求を骨子とするヴェルサイユ体制は結果として安定しなかった。一方ワシントン会議で決定されたアジア・太平洋地域での戦後協調体制(戦間期における)のワシントン体制では、完全にこの地域のメインプレーヤーがアメリカと日本に取って代わられたことを明確にした。ワシントン海軍軍縮条約、ロンドン海軍軍縮会議で決定した海軍軍拡競争の防止は一定期間以上の役割を果たすことはできなかった。これらの中で四カ国条約が締結され1923年8月17日に日英同盟も解消となった。アジアでは中国軍との間で1926年に万県事件、1927年には南京事件が勃発したが武力で断固として処断した。
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