戦後の鹿児島海軍航空隊跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/06/01 14:04 UTC 版)
「鹿児島海軍航空隊」の記事における「戦後の鹿児島海軍航空隊跡」の解説
戦前の昭和7年に奄美・沖縄航空路の起点として設置された民間空港でもあったことから、昭和32年より空港を再開し、鹿児島市民から「鴨池空港」の通称で親しまれた。しかし、市街地の海岸沿いに展開する手狭な空港であったため、騒音被害や増便の限界など、都市近郊の空港が共通して抱える諸問題が噴出した。 再開から10年目、昭和47年をもって、旧海軍が溝辺町(現霧島市)に設置していた旧第二国分飛行場跡に「溝辺空港」こと鹿児島空港を開港し、鴨池空港は閉鎖された。跡地にはまもなく鴨池ニュータウンが開かれ、オフィスや商用施設の建設が続行した。バブル時代には県庁や警察本部、第二合同庁舎などの行政機関が移転を果たし、錦江湾臨海ウォーターフロントの一翼を担うエリアとなった。
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