復旧事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:15 UTC 版)
戦後までは150 石船が行きかっており、水運業者などによる定期的な浚渫が行なわれていた。堀には背割りから住民の生活排水が流れ込んでいたが、汚染されたものやゴミは流さないという住民の心遣いもあり、昭和20 年代ごろまではきれいな川だった。昭和時代後半になると、運河の機能を失い、汚泥を掬い上げる「川ざらえ」も廃れ、昭和40年代になると、堀には下水が流入し、川底にはヘドロが堆積し、悪臭を放つようになった。昭和45年(1970年)、地元自治会は堀の改修計画を市に陳情し、1972年に市は堀を埋め立てて公園と駐車場にする計画を立てた。しかし、近江八幡青年会議所が、堀を近江八幡の誇りとして蘇らせようと、改修計画の見直しを市に迫り、八幡堀復活を求めて署名運動・自主清掃活動を行った。昭和50年(1975年)、「よみがえる近江八幡の会」が設立され、堀の保存修景運動は、市民全体の運動へと展開した。翌年着工された堀の全面浚渫工事は昭和54年(1979年)に完成した。1980年には、市民、行政、研究者らによる街並み保全のための「明日の近江八幡を考える研究会」が発足した。
※この「復旧事業」の解説は、「八幡堀」の解説の一部です。
「復旧事業」を含む「八幡堀」の記事については、「八幡堀」の概要を参照ください。
- 復旧事業のページへのリンク