従軍医師として(1779年 – 1783年)
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「ギルバート・ブレーン (初代準男爵)」の記事における「従軍医師として(1779年 – 1783年)」の解説
エディンバラを離れた後、師にあたる医師ウィリアム・カレンの紹介を受けてロンドンで医師ウィリアム・ハンターに会い、ハンターはブレーンを第4代ホルダーネス伯爵ロバート・ダーシー(1778年5月没)、ついでジョージ・ロドニーに推薦し、ブレーンは2人のかかりつけの医師になった。この時期はアメリカ独立戦争の最中であり、海軍軍人であるロドニーが西インド諸島に遠征することになったため、ブレーンは(従軍医師ではなく)ロドニー自身が雇用する医師として戦列艦サンドウィッチに乗船、遠征に随行した。遠征中、ブレーンは少なくとも6度の海戦に直面したが、医師として働いただけでなく、ロドニーから砲手への伝令役としても大きく貢献した。そのため、ロドニーは1780年にブレーンを西インド艦隊付き医師に任命した(1783年の戦争終結まで在任)。1781年ごろにOn the most effectual means for preserving the Health of Seamen, particularly in the Royal Navyという冊子を自費出版して、西インド艦隊の従軍医師全員に配って軍医のガイドラインとした。同1781年にロドニーが健康悪化により一時的に帰国を余儀なくされると、ブレーンもロドニーに同伴して帰国、1781年12月3日に王立内科医学会(英語版)から開業資格免許を取得した。その後、1782年初に西インドに戻り、1783年春にフランシス・ウィリアム・ドレイク(英語版)提督とともに帰国した。
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