影武者説の概要とは? わかりやすく解説

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影武者説の概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 06:47 UTC 版)

徳川家康の影武者説」の記事における「影武者説の概要」の解説

村岡素一郎によれば、「松平広忠嫡男で、幼名竹千代元服して松平二郎三郎元信名乗った人物は、正真正銘松平徳川氏)の当主である。桶狭間の戦い今川軍先鋒として活躍したのも、この竹千代当時元康)である。しかし元康桶狭間の戦い今川義元死去した後に独立したが、数年後不慮の死遂げた。そして、その後現れる家康は、世良田二郎三郎元信という、全くの別人成り代わったものである」という説を村岡着想したのは、林羅山著書駿府政事録』の1612年慶長17年8月19日記述である。村岡は以下のように引用している。 駿府政事録に云ふ、慶長十七八月十九日雑談の内、昔年御幼少之時、有二又右衛門某云者一、錢五貫、奉レ賣二御所一之時、自二九歳一至二十八九歳一迄、御二座駿府一之由、令レ談給、諸人伺候、衆皆聞レ之云々。公が此の自白述懐據れば、公は幼少の時、又右衛門なるものに、錢五貫を以って鬻賣せられ、九歳より十八九歳迄、駿府在住せられしと、此比は人の子女を勾引して賣買したることあり、公も此の災厄に罹られたるなり、陪席左右侍御輩皆之を聽けり — 村岡素一郎著、『史疑 德川家康事蹟14頁。NDLJP:992561/17 「 (大意)『駿府政事録』にはこうある。慶長十七八月十九日家康雑談の席で「私は子供の頃又右衛門ナニガシというものに銭五貫文売り飛ばされ、九歳から十八歳、十九歳まで駿府居たのだ」と語ったというのだ。家康公は戦国時代よくあった誘拐にあい、売り飛ばされていたのである家臣達はみな、この話を聞いていたのだ。 」 当時松平広忠今川義元庇護を受けるため、息子竹千代家康)を駿府人質として送ろうとしていた。しかし、広忠継室真喜姫田原御前)の父である田原城主の戸田康光今川家松平家裏切り竹千代織田信秀のもとへ売られた。後に織田信長庶兄である織田信広今川軍敗れて捕らえられたため(安城合戦)、その信広と交換され駿府送られた。その様子を家康語ったものとされている。 村岡戸田家竹千代売ったことを否定しているという。しかし、康光を始めとする今川家裏切った戸田一族今川家滅ぼされており、否定したという戸田家人物不明である。なお、近年になってアカデミズム側から戸田家竹千代売った事実否定する見解出されるようになっているが、結果的に影武者説についても否定することになるため、後述する。

※この「影武者説の概要」の解説は、「徳川家康の影武者説」の解説の一部です。
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