平和への祈りとは? わかりやすく解説

平和への祈り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/04 03:13 UTC 版)

平和への祈り』 (へいわへのいのり) は、NHKの委嘱により、大木惇夫の詩、深井史郎の作曲で1949年に作られたカンタータ (交声曲)[1]。スコア記載のタイトルは「平和への祈り : 合唱及び4人の独唱者と管弦楽のためのcantata」[2]で、舞台初演プログラム記載のタイトルは「平和への祈り:四人の独唱者及び合唱と大管弦楽の為の交声曲」[1] (旧字は新字に改めた)。

曲の内容と構成

全曲の内容と構成は次の通りで、序奏に現れる複数のテーマが、循環的主題となって全曲を形作っている。最後は合唱と管弦楽による二重フーガでクライマックスを築く[3]

  • 第1部: 武器を農具に持ち替えて暮らす平和な日々へのあこがれと希望 (合唱、バリトン独唱、管弦楽)
  • 第2部: 凄惨な戦争の思い出 (ソプラノ独唱、合唱、管弦楽、第1部から続けて演奏される)
  • 第3部: (管弦楽のみの間奏)
  • 第4部: 社会の再生への意思と希望を、自然の遷り変る生命の息吹に託して歌う (テノール独唱、アルト独唱、ソロ4重唱と合唱、管弦楽)
  • 第5部: 平和な世へ生まれ変わる決意と希望 (合唱、管弦楽)

作詩の大木惇夫は広島出身で、原爆により潰滅的な被害を受けた故郷を長詩「ヒロシマの歌」に詠っている[4]。この詩を収録した詩集『物言ふ蘆』は立花書房から1949年8月の刊行で、『平和への祈り』初演と同時期である。『平和への祈り』の歌詞には、詩集『物言ふ蘆』収録のいくつかの詩に使われた詩句がちりばめられている[3][5]

作曲の深井史郎は、第2部「戦争の思い出」から第4部「再生への意思と希望」の間に後から追加した「経過」 (間奏) 部分の第3部について、「焼けあとにも春が訪れ、風が囁き、鳥がなくが人々の胸にある傷痕はまだ消えない」と語っている。またこの作品について、「「平和への祈り」では何か力が弱く、「平和のための戦い」でなければならないようである」とも言っている[1]

編成と楽譜

編成は、ソプラノ、アルト、テノール、バリトン (以上独唱)、混声合唱、ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、大太鼓、中太鼓、小太鼓、グロッケンシュピール、タンバリン、シンバル、ハープ2、チェレスタ、弦5部[6]

日本近代音楽館に所蔵されている自筆スコアを元に、オーボエ奏者柴山洋による校訂スコアが作成されている[7]。演奏譜は東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴに寄託されている[6]

初演と再演

カンタータ『平和への祈り』は、1949年8月に山田和男指揮、日本交響楽団 (現・NHK交響楽団) により放送初演された。その後、管弦楽だけの第3部が追加され、同年11月に再放送された。舞台初演は翌1950年11月16日に日比谷公会堂で開催された「昭和25年度文部省藝術祭」において、尾高尚忠指揮、日本交響楽団により行われた。ソリストは大熊文子、川崎静子木下保秋元清一、合唱は国立音楽大学合唱団であった[1]

日本人作曲の管弦楽作品演奏を継続しているオーケストラ・ニッポニカは、2007年3月25日開催の第11回演奏会「深井史郎作品展」において、本名徹次指揮により『平和への祈り』を57年ぶりに再演した。ソリストは星川美保子 (S)、穴澤ゆう子 (A)、谷口洋介 (T)、浦野智行 (Bar)、合唱は東京クラシカルシンガーズ☆ぷらすであった[3]。更に同オーケストラは2010年にも再演を重ねており、ライヴ録音がリリースされている[7][8]

脚注

  1. ^ a b c d 「昭和25年度文部省藝術祭」プログラム、1950年11月16日
  2. ^ 東京音楽大学付属図書館OPAC 2020年8月15日閲覧。
  3. ^ a b c 『オーケストラ・ニッポニカ第11回演奏会 深井史郎作品展』プログラム, 2007.3.25
  4. ^ 宮田毬栄『忘れられた詩人の伝記:父・大木惇夫の軌跡』中央公論新社、2015、pp267-270
  5. ^ 『大木惇夫詩全集. 3』金園社、1969、pp99-133
  6. ^ a b 平和への祈り 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ。2020年8月14日閲覧。
  7. ^ a b 『オーケストラ・ニッポニカ第18回演奏会 「日本近代音楽館」へのオマージュ』プログラム, 2010.8.8
  8. ^ 伊福部昭:管絃樂の爲の音詩「寒帯林」、深井史郎:カンタータ「平和への祈り」 Octavia Records EXTON【OVCL-00433】2020年8月14日閲覧。



平和への祈り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 09:36 UTC 版)

ゲオルク・ショルティ」の記事における「平和への祈り」の解説

ショルティは、1938年3月11日ブダペスト歌劇場の「フィガロの結婚」で指揮者としてのデビュー飾ったが、ユダヤ系だったこともあって、再び指揮台に立つ機会はなかった。歌劇場後援会長からルツェルン音楽祭参加しているトスカニーニ頼ってニューヨークへ渡ることを勧められルツェルントスカニーニ約束まではもらえたが、戦争始まってしまったことと、トスカニーニの妻から貰った所持金が底をついてしまったことなどから実際にかなえられず、そのままスイスで生活を送ることとなる。以後戦争が終わるまでは家族父親1943年病死している)と再会していない。青年期第二次世界大戦真っ只中重なり、またユダヤ系であることから、ショルティ生涯戦争翻弄され続けた。この経験から、政治家また、音楽家同様に思想違い超えて平和を実現することが必ずできるはずだという信念抱き1992年バッキンガム宮殿にてチャールズ王太子ダイアナ妃主催開かれたショルティ80記念演奏会の場で、「音楽が持つ、平和の使節としての特別な力」を体現化するワールド・オーケストラ・フォア・ピース」の構想発表した

※この「平和への祈り」の解説は、「ゲオルク・ショルティ」の解説の一部です。
「平和への祈り」を含む「ゲオルク・ショルティ」の記事については、「ゲオルク・ショルティ」の概要を参照ください。

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