やましろのおおえ‐の‐おう〔やましろのおほえ‐ワウ〕【山背大兄王】
山背大兄王
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山背大兄王(やましろのおおえのおう、生年不詳[1][2] - 皇極天皇2年11月11日(643年12月30日))は、『日本書紀』によれば7世紀前半の皇族。『上宮聖徳法王帝説』によれば厩戸皇子(聖徳太子)の子。母は蘇我馬子の娘・刀自古郎女(とじこのいらつめ)で、大臣・蘇我入鹿とは従兄弟に当たる。
注釈
出典
- ^ 「山背大兄王」『日本人名大辞典』講談社。
- ^ 山背大兄王(国史).
- ^ “日本書紀 皇極紀”. 日本書紀. 2008年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年7月20日閲覧。
- ^ 日本書紀 皇極紀
- ^ 倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』(中央公論新社、2015年)
- ^ 荒木敏夫「古人大兄皇子論」(『国立民俗歴史博物館研究報告』第179集、2013年11月)
- ^ 加藤謙吉『秦氏とその民 渡来氏族の実像』(白水社、1998年)
- ^ 木本好信『古代史論聚』(岩田書院、2020年)
- ^ 上宮聖徳法王帝説
- ^ 上宮聖徳法王帝説
- ^ 上宮聖德太子傳補闕記
- ^ 「三井村」『奈良県の地名』日本歴史地名大系30、平凡社、1981年。
- ^ a b 平群郡北岡墓(国史).
- ^ a b c 河上邦彦『飛鳥発掘物語』扶桑社、2004年、pp. 73-75。
- ^ 「『延喜式』にみる墳墓 > 平群郡北岡墓」『新修 斑鳩町史』上巻、斑鳩町、2022年。
- 1 山背大兄王とは
- 2 山背大兄王の概要
- 3 系譜
- 4 墓
- 5 脚注
山背大兄王(やましろのおおえのおうじ)
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「日出処の天子」の記事における「山背大兄王(やましろのおおえのおうじ)」の解説
本作では蘇我毛人と刀自古の息子(表向きは厩戸と刀自古の息子)。毛人の息子であることは当人も厩戸も知っていて、厩戸に特に愛されて育つ。政治家としても存在感を発揮している。
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