山岳戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:33 UTC 版)
再建された国軍はLFと共に、イスラエル撤退後のレバノン中部シューフ山地(ドゥルーズ派の本拠地)に生じた空白地帯の奪取に乗り出した。ドゥルーズ派やアマルもまた奪還に乗り出し、国軍・LFと激突する事となった。この「山岳戦争(英語版)」において、国軍は多国籍軍に空爆や艦砲射撃による援護を要請。イスラム教民兵組織が内戦終結の阻害と考えていた多国籍軍は、艦載機や戦艦を繰り出してイスラム民兵に攻撃を加えた。しかしこの多国籍軍の軍事介入は功を奏せず、海軍機に損失が出る一方で、多国籍軍の意味合いを変質させる事となった。 山岳戦争は「捕虜の存在しない戦争」ともいわれ、LFとムスリム左派(特にドゥルーズ派)は敵意を剥き出しにして戦った。いずれの勢力も戦闘で捕らえた兵士・非戦闘員を競うように殺害し、戦闘と関係の無いシューフ山地にある対立する宗派の村落も多くが破壊され、住民は虐殺されるか追放の憂き目に遭った。この戦争でシューフ山地に住んでいた多くのマロン派住民は、東ベイルートやジュニエといった同派の都市に難民として逃れ、内戦以来の住み分けが完成する状態にまで至った。
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