山口高等学校 (旧制)
山口高等中学校
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(県立山口中学校→)山口高等中学校本科→(旧旧)山口高等学校大学予科→山口高等商業学校→山口経済専門学校→山口大学経済学部1886年(明治19年)11月 官立山口高等中学校設立:山口 1894年(明治27年) 9月 官立山口高等学校と改称 1905年(明治38年) 5月 官立山口高等商業学校へ転換。本科設置(修業年限3年) 1906年(明治39年) 官立山口高等学校廃校 1907年(明治40年) 7月 官立山口高等商業学校大学予科を廃止 再興山口高等学校高等科→山口大学文理学部(後に人文学部・理学部に改組)1919年(大正 8年) 4月 官立山口高等学校再興:山口
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山口高等中学校
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「ナンバースクール (旧制高等学校)」の記事における「山口高等中学校」の解説
第一高等中学校(東京)、第三高等中学校(大阪のちに京都)に継ぐ全国3番目の高等中学校として明治19年(1886年)11月に官立山口高等中学校が設置された。中学校令による五学区のうち山口県は京都府と同じ第3学区に属していたが、藩校山口明倫館を母体とした県立山口中学校の資材を提供し、年間1万9千円運営費を地元有志の寄付で負担することを条件に文部省より特例的に認可されたものである。「山口県民のための高等機関でありたい」という想いより数字を冠さず山口の名を残したが、県外出身者が殺到し県内出身者の入学が2割に落ち込み設立趣旨に合わなくなったことや地元寄付に依存した運営が厳しくなったことから等9万5千円の寄付とともに国庫移管が行われ明治38年(1905年)に廃校となり高等商業学校に改組された。
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