山口高志
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山口 高志(やまぐち たかし、1950年5月15日 - )は、兵庫県神戸市長田区出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
- ^ 学校には野球チームが2つあり、いずれも5年生になるまで入れなかったという[4]。
- ^ 山口の近所にはこのほかに育英高等学校があったが、日頃その厳しい練習風景に接していた山口はついていくことに不安を覚えていた[6]。
- ^ 山口自身は無安打よりも四球の多さが気になったという[10]。
- ^ 達摩は高校野球の審判員として以前から山口の名は知っていたという[16]。
- ^ 達摩は大学同期の村山が所有するマンションに居住していた[22]。
- ^ 鎮勝也によると、通算防御率については1971年秋と1972年春の公式スコアブックが残存していないため[33]、「0.82から0.94の領域」になるという[32]。
- ^ 同大会では、山口の前日に中央大学の1年生投手田村政雄が1回戦の東海大学を相手に大会初のノーヒットノーランを達成している。
- ^ 達摩省一は後日当時の近鉄監督である西本幸雄から、外国人の再契約に費用がかかるため、指名を回避するよう指示があったと聞かされたという[41]。
- ^ 阪急でこの契約を提示されたのは山口の獲得にも関わった矢形勝洋に次いで2人目で、球団史上もこの2人のみであった[45]。
- ^ 山口の初球がボール球の割合が高いことから「初球は絶対に手を出すな」という内容で、前の打席で羽田が初球を打ち凡退したのを見た西本が指示を出したが、そのとき羽田は打席の方にいたため聞こえなかったとされている[50]。
- ^ 近鉄の選手だった梨田昌孝は著書でこの事件が「75年(昭和50)近鉄-阪急のプレーオフ第2戦」で起きたと記しているが[52]、事件が報じられるまでの経緯をスポーツ紙面とも照らし合わせて記載した鎮勝也の著書の記述を本記事では採用する。
- ^ 新人王を獲得した投手の中で、10勝以上を挙げながら負け越した人物は山口を含めて5人(ほかに徳久利明・関本四十四・皆川康夫・新美敏)いるが、2023年終了時点では山口が最後の該当者となっている。
- ^ 手記はスポーツニッポン大阪版に連載された「速球に生きる」からの引用。
- ^ 山口は自動車免許を所持していなかったため賞品の自動車(トヨタ・クラウン)をディーラーに預けた後、保管期限到来時に売却した[54]。その後妻が運転免許を取得した際に他社の自動車を購入し、これを知った球団営業部長の矢形勝洋(後に常務)から「ばかやろう」と叱責されたという[54]。
- ^ 前打者の小林繁にあわや死球というボールを投じた後、安打を打たれていた[60][61]。山口は2017年のインタビューで、記憶に残る一球として小林に安打を打たれた投球を挙げ、一度だけ過去に戻れるならこの場面をやり直したいと述べている[61]。
- ^ 故障のきっかけは、30年後の2008年に日刊スポーツに連載したコラム「伝説」で初めて明らかにされた。
- ^ 翌日のスポーツニッポン大阪版では「崩れたタカシ神話」という見出しが付けられた[73]。
- ^ 山口は「打たれて納得はしとった」と評し、2008年にイチローが日米通算で3000本安打を達成した際、自身も登場する張本の映像が紹介されたことは「ありがたい」と述べている[74][75]。
- ^ 2017年時点で現役の著名な速球投手では、ダルビッシュ有は196cm、大谷翔平は193cm、藤浪晋太郎は197cmの身長を持つ。過去の選手では金田正一が184cm、尾崎行雄が176cm、江夏豊が179cm、江川卓が183cmだった。
- ^ 稲尾和久は山口のピッチングフォームの連続写真を見て、「力の向く方向はすべて上方向。それをフィニッシュで必死に下に向けている趣。体の負担は普通の投手のそれとは比べものにならないだろう。年齢とともに固くなる筋肉は山口に剛速球を投じる体のメカニズムに耐えきれなくなり、故障を生じさせるようになる」と解説している(「20世紀のベストプレーヤー100人の群像」ベースボールマガジン社刊、2000年、P103)。
- ^ 岸部シローに誘われて居酒屋で飲む客として出演[118]。「演技はできんし、すごい恥ずかしかった」と述べている[118]。
- ^ 大学野球「65歳、母校に熱血帰還 169センチ伝説の剛球、元阪急・山口高志さん アマ資格、関大で指導」 毎日新聞 - ウェイバックマシン(2020年1月13日アーカイブ分)
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