尼崎市歌
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「尼崎市歌」(あまがさきしか)は、兵庫県尼崎市が制定した市歌である。以下の2代が存在する。
- ^ a b c d 『尼崎100周年記念新聞』1面「歴史の音符♪」。
- ^ 尼崎の歌 ザ・ベストテン/第6-10位(南部再生)
- ^ 松浦(1997), p100
- ^ 市制100周年記念式典を開催しました
- ^ 篠原真「全国市歌のいろいろ」(全国市長会『市政』1965年3月号), p105
- ^ 尼崎の歌 ザ・ベストテン/第1-5位 - 『南部再生』第30号、尼崎南部再生研究室、2008年。
- ^ あまがさき100年会議(資料①) プレ記念期間の取組みについて、尼崎市、2015年12月25日、2頁。
尼崎市歌(初代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 17:45 UTC 版)
初代の尼崎市歌は市制施行10周年を控えた1925年(大正14年)に「国に国歌あり、学校に校歌あり、会社に社歌あり、市に市歌なかるべからず」を制定理念として歌詞の一般公募が実施され、翌1926年(大正15年)に制定された。入選者の福武周夫は同年に開催された第12回全国中等学校優勝野球大会を記念して大阪朝日新聞が主催した大会歌(作曲・信時潔)の一般公募でも一等入選を果たしている。 しかし、この初代市歌は1936年(昭和11年)に小田村と新設合併した新制尼崎市には引き継がれず「失効」扱いとなった。
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尼崎市歌(2代目)
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現行の2代目尼崎市歌は小田村との新設合併から3年後の1939年(昭和14年)、翌1940年(昭和15年)の皇紀2600年記念事業の一環として制定が提唱された。当初は旧市歌と同様に歌詞の一般公募も検討されたが、前兵庫県議会議員で戦後に2代目公選市長となる阪本勝の著書『随筆集 市長の手帖』によると旧制第二高校で阪本の恩師に当たり当代一流の詩人だった土井晩翠に作詞を依頼し、完成した全5番の歌詞に東京音楽学校が歌詞を付けて新年祝賀会の席で初演奏が行われたとされている。完成した新市歌は1月15日付の尼崎市公報第46号に掲載され、西宮市のタイヘイレコードが有島通男の歌唱を吹き込んだSPレコードを製造した。 戦後は大時代的な歌詞が問題視されたため2番を省略することが多くなったが、引き続き市立小学校の運動会などの行事で演奏されていた。しかし、平成に入ってからは1番で「昭和」が歌詞に含まれていることや後述する市民愛唱歌が新たに作成されたこともあり、公的行事では原則として演奏されなくなっている。 2016年(平成28年)には市制100周年記念事業として2月に発行された『尼崎100周年記念新聞』1面で紹介されており、3月20日には大庄公民館で「尼崎市歌を歌う」と題して復活演奏が行われた。同年10月8日に開催された市制100周年記念式典でも演奏されている。
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