密輸ギャング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/10 14:06 UTC 版)
シチリア島パレルモのカッカモに生まれ育った。マフィアの家系で父親トーマスもマフィアだった。1921年11月、一家で渡米し、バージニア州ノーフォークに密入国した。既にアメリカで生活していた親戚のカステラーノ家を頼り、ニューヨークのブルックリンに住み着いた。カステラーノ家やマソット家とは親類同士で、サルヴァトーレ・マソット率いるマフィア派閥に参加した。マソットはパレルモ系ボスのサルヴァトーレ・トト・ダキーラファミリーのカポ(幹部)で、ガンビーノ家・カステラーノ家を包含してダキーラファミリーの最大派閥を形成した。禁酒法時代、この派閥は酒の密輸に精を出し、ガンビーノも密輸トラックを運転するなど手伝った。1926年、カステラーノ家のカタリーネと結婚した(三男一女をもうける)。結婚時の職業は「肉屋」だった。 やがて弟ポールと酒の密造を始めた。ニュージャージーの工場で粗悪なアルコール原料を使った混成酒を大量製造し、ブルックリンの貯蔵庫に移して闇市で売りさばいた。1930年代にかけて数十人体制のオペレーションに拡大した。財務省のアルコール取締局ATUからマークされ、「ガンビーノ・アウトフィット」と呼ばれた。1930年11月、マサチューセッツで闇賭博で逮捕され、1934年10月酒の脱税で逮捕されたが、いずれも無罪となった 。 マソット派閥は、1928年10月のダキーラの死に伴い、ジョー・マッセリアに服従したが、1930年のカステランマレーゼ戦争の途中マッセリアから離反し、戦争後は、ヴィンセント・マンガーノをボスに担ぎ上げた。サルヴァトーレ・マソットは1930年代に引退し(シチリア帰国)、フランク・カステラーノ、次いでカルロ・ガンビーノに家門の長が継がれた。
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