寂れる農業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 15:47 UTC 版)
さらに、多くの水田では今も大規模な稲作は残るものの、ピーク時の平成時代の初頭に比べると他の農業同様に、後継者不足と長年続く米の買い上げ値段の低迷などが重なり、年を追う毎に離農や水田の放棄地も目立ってきて、問題になっている。この影響により、現在の農協は数度の合併を繰り返し、併せて大規模な職員の削減も実施してきた。この縮小の影響で現在では、松島地区および、矢部地区の店舗機能は大幅に縮小され、本店でも店舗以外に多少の倉庫は残るものの、例えば小型の刈払い機(いわゆる、草刈機)の簡単な微調整すら出来ず、全て日畑地区の東側端(岡山市に近い)に残る庄地区内ではただ一軒となった、農機具店または、車で南西方向に20~30分ほど掛かる、茶町地区に集約されたJA農機具センターの何れかに、持ち込む様な状況となっている。このような状況下に残る、既存の多くの農家では兼業農家で細々と管理または、小数ながらも地域に根付いている大規模な専業農家や、近年の離農影響を危惧した岡山県の斡旋により、晴れの国岡山農業協同組合が設立した、稲作請負企業に対して、水田の持ち主が委託耕作料を支払うという、いわゆる逆ザヤ状態で管理費を支払い、代々続く水田をかろうじて維持している現実がある。
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