庄地区とは? わかりやすく解説

庄地区

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 13:50 UTC 版)

庄地区(しょう ちく)は、岡山県倉敷市内の地域区分であり、同市の最東北部に位置しており東西に約3.5km、南北に約5km[注 1]のほぼ長方形状に広がる平野である。


注釈

  1. ^ 東西および、南北の各境界線距離は、グーグルマップにより各位の最も最長となる垂直線実測により算出。
  2. ^ 最西部および、最南部の各境界線距離は、グーグルマップでの実測により算出。
  3. ^ ただし、岡山市内より続く新幹線の高架を挟み上下線が完全に分離されているものの、庄地区内のほぼ中央部位付近(上東地区内)より南西方向へ枝分かれして上下線が一体となり、四車線化状態で倉敷市内へと続いている。
  4. ^ 山陽本線と伯備線は、JR岡山駅〜JR倉敷駅間が相乗りしているので、特に倉敷駅以西・以北での各線単独区間に比べると、圧倒的な運行本数となっている。
  5. ^ トンネル全区間が、川崎医療福祉大学北西地域の二子地区内の山中を通る。
  6. ^ ただし、元々山塊ふもとの旧、2号線沿い平地にある体育館および、テニスコート付のグラウンド以外の小高い山頂に広がっていた短大施設自体は、2021年度に岡山市北区中山下地区へ移転している。その後、平地の各スポーツ施設のみを残して、山頂の建屋は総て解体されて更地となっている。またグラウンドは、テニスコートを除き10階建ての二棟からなる数百室の個室と、大食堂や広大な駐車場などを備えて岡山校へ通学する短大生および、地元の医療大学生などを対象とした大規模な学生寮『このはな寮』が新たに建設されている。
  7. ^ ただし、西側の松島地区からは少し北側に反れている。
  8. ^ 各水路は繋がっているも庄地区面積の約半数を占める、山地・西尾・庄新町・矢部・日畑の各地区への配水は、矢部地区の最南東部(庄新町地区との境界近く)に位置する矢部排水機場および、隣接する足守川の水門からも採水されているために現状としては六軒川の各水門と、足守川の矢部水門がお互いの水量を補完しあっている。ただし、両地区の各水門は元々の水源が足守川からの採水の関係で、真夏などの渇水時では同時に水量が減るなどの連帯現象は免れない。
  9. ^ 下庄地区の最南東角地には、隣接する岡山市(吉備町地区)内から流れてきた六問川最初の大型水門が設置されて、この水門が実質的には庄地区内を西方向に流れる起点(庄地区内を流れる六間川の上流部)となっている。このために、年間を通した水門開閉による水量の調整作業のほか、この大型水門周りを含めた年数回行なわれる大規模な除草剤散布作業は、伝統的に下庄地区内の関係者が交代で行なっている。
  10. ^ ただし、庄新町地区はほぼ大規模分譲地で出来た区域のために、配給希望は皆無に比としい。
  11. ^ 特に薄木板に関しては、平成時代の中ごろより、市の緊縮財政改革の煽りで従来からの板厚と比べて約半分程度の薄さとなってしまい、この影響でわずか数年で朽ちて土圧に耐えられなくなるので、一部の農家や川沿いの民家では自費で各種の波板や古い看板など(今では珍しくなった昔ながらのホーロー看板などは、多くの農家の母屋や小屋で沢山見受けられていた)で補強してしのいでいた。
  12. ^ 一例として、2021年8月16日閲覧のグーグル衛星画像では、下庄地内の庄楠遊園(#観光地・名所を参照)と、西側に隣接する空き地を含めて、東西に流れる北側用水路と、続く西側端で曲がって南北に流れる西側用水路のいわゆる、L字方向に渡り改修されている。また、工区のL字角辺りには、ブルーシートで覆われ、遊園西側空き地は資材と残土置き場として利用されている風景が写っている。
  13. ^ 長年、別居する若手の帰省時や、地区の有志がボランティアで敷地や水田脇護岸の補強をしていたが、近年のボランティア作業中の事故による補償問題など安全意識の激変により、土木会社などへ有償依頼する流れに変わって行った。しかし、市から現物支給される木材料での応急的な工事となるために、数年後にまた朽ちるために金銭的な負担が重荷になって、結局は放置されて次第に護岸が荒れ始めてきた。この影響で、崩れた土砂で水深が浅くなったり変形するなど、水路によっては計画した水量が流れにくくなり、結果的には決められた配水日程にも大きな影響も与えていた。
  14. ^ 数年前までは、上東地区に二件の中規模の農機具店があったものの、農機具需要減退で廃業(ただし、クボタ特約店であった前田潔商店庄営業所は、2020年2月2日付けで倒産により撤退)してしまった。この影響で大型の農機具は各社の近隣地区代理店から出張しているが、小型機器は出張費倒れになるために、自前で持ち込むのが現状となっている。
  15. ^ 古くからの慣習により、地主(いわゆる、水田の持ち主)が他人に貸し与えた水田は、例え地主が『もう自分では継続できないから、代わりに稲作を作って、水田管理を一切してくれ』と拝み倒す様な自己都合でも、理由を問わず借家同様に借主から年一回、小作料として面積に応じて現金または、収穫した米の現物(通常は25キロ入り小袋を1~数俵)を受け取る。しかし、小作側にはこれらの借地料とは別に稲代や農薬肥料代のほか、高額な農機具(最低でも、耕作用のトラクター田植え機・刈取り用のコンバイン)や、収穫した米を乾燥させる専用の大型乾燥機なども必要となる。対して、米の買い取り価格は低迷するばかりの現状では、地主の立場は極端に弱くなって来ている。この影響により、特にJAの子会社による代理耕作に関しては、地主に対して逆に年間二万円弱程度の管理料を徴収するほか、収穫した米は一粒残らず管理会社の総取りとなる。さらに、変形した水田や、仮に四角または、長方形などの耕作しやすい整った水田でも、傾斜面に面していたりすると、割増金なども掛かる場合がある。そのほか、最低委託面積は一(1000m2)からなどの数々の条件が付くので、諦めて放棄地にする事もしばしば起こっている。
  16. ^ 一学年当たり、約80人超。
  17. ^ 一学年当たり、約100人超。
  18. ^ 一学年当たり、約200人超。
  19. ^ 下庄地区のマツサカプラザ庄店の北側
  20. ^ 上東地区は旧、庄村時代より原則、三階建て以上の建築物が規制されているため、数棟の三階建ての小規模な建築物が例外的にあるのみである。
  21. ^ 発掘された上東遺跡は、西日本の大動脈となる山陽新幹線という特殊な立ち位置と、「新幹線ルートは直線が基本」という事からルート変更は無論、建設日程を遅らせることすら出来ないという厳しい状況下にあった。この影響で、長期間に渡る詳細な発掘調査が出来なくなった。そこで旧・国鉄との妥協案として、多くの高架橋区間で採用されている四角い(その後の耐震化工事で鉄板などを取り付けて、円びた姿となっている)二本一組幅の柱を、乗用車2~3台ほどの間隔で無数に並べる工法を急遽、出来るだけ長いサイズの河川や幅広道路を渡るような、コンクリート橋(岡山県道242号川入巌井線沿いの『ポンヌフ』東側~『ファミリーマート』間の、約300m区間を8本の橋で施工。※ストリートビューで確認)とした。これにより、将来部分的に再調査を実地する際に備えて、遺跡の破損を出来るだけ最低限度に抑えるという苦肉の妥協案により、古代住居跡を含む広範囲で発掘は行なわれたものの、最低限度の発掘品の収集と簡単な記録にとどめられた。
  22. ^ 現在の同地日畑にあたる。日畑村東組は現在の岡山市北区納所にあたる。
  23. ^ 松島地区に3棟(内、2棟は川崎医療短大学生寮棟)と、二子地区に1棟が点在している。
  24. ^ 松島地区に立地。
  25. ^ 庄地区から倉敷駅方面へ続く旧・国道2号沿いの両備バス倉敷営業所東隣の地域(現在のドラッグコスモス倉敷駅前店ほか、隣接マンション建物地内など)に開設していた。しかしその後のマイカー普及による大打撃により、古い車庫を段階的に取り壊し、余剰となった敷地の一部を切り売りしながら規模を縮小した。その後、最後の路線となっていた「岡山倉敷線」の廃止となった2003年平成15年)3月31日限りで閉鎖となる。
  26. ^ 「現、中国JRバス岡山支店」の敷地および、西側に隣接する「くすりのレデイ撫川店」を併せた敷地。
  27. ^ キリスト系学校のために、教員とシスターを兼ねた職員も多数在籍していたため。
  28. ^ ただし、学年単位あるいはクラス単位の特別登校日や学園行事によっては、事前に学校からの連絡により1台のみの場合もあった。
  29. ^
    岡山駅または、倉敷駅何れからも【庄新町下撫川】となる表示。
    後部乗降口は、後輪の更に後ろに付いている。
    2003年1月3日岡山営業所にて撮影)
    それまでのバスは、岡山で始めて開業した倉敷市内の旧、岡山営業所時代では、車掌が同乗し乗降口が車体の中央一箇所のみの、旧式ボンネットタイプ(いわゆる、ボンネットバス)から始まり、時代とともに完全ワンマン化後は乗降口が前輪より前側となる最前部位と、車体の中央部位との二箇所に分かれて設置されているタイプであった。また、その後の岡山市撫川地区へ移転後も、同様の流れで営業してきた(ただし、すでにボンネットタイプではなかった)。しかし、前側と中央側に別れたタイプは、前側乗降口からの乗車時(いわゆる「前乗り」)に、前払いとなる料金均一区間では例え満員状態でも、前側と中央側乗降口を同時に開いて乗客を効率よく裁ける。身近な事例として、岡電バスが伝統的に岡山市内中心部で「市内均一料金」として実地している。これとは対照的に、岡山県内の多くの事業社が取り入れている中央側乗降口より整理券を受け取る、いわゆる後乗り不均等区間での混雑時は、後部側(特に最後部席など)の下車乗客が前方に移動する流れと、途中の中央口から乗り込んでくる流れが狭い通路でぶつかることとなる。これにより朝夕の混雑が激しい路線では、大幅な遅延の原因となりうる。
  30. ^ 開業当初から昭和末期ごろまでは、下庄地内の『備中庄』バス停(現、ファマリーマート倉敷下庄店前のバス停)、その後の温泉施設開業により、現在は岡山市との境界線手前に新らたに設置された『瀬戸大橋温泉』バス停まで約500メートル延長された。
  31. ^ 最盛期の岡山駅発、【金光駅】行きや【矢掛】行きが夫々の終点となる。また、旧・駅舎を取り壊し、北口駅前ロータリーのバス停を含め、1994年平成6年)2月10日に全面的に生まれ変わったJR中庄駅前を発着して、庄地区内全てのバス停を結ぶ【中庄駅】行きの便も含む。
  32. ^ 実際は営業所建屋の真横に電話ボックスが設置されており、地元のタクシー会社の電話番号も掲示されていた。
  33. ^ 運行本数は岡電バスが主体となっている。また、JRバスと共用していた両備バスも、同時に両備グループ系列の岡電バスに移管。
  34. ^ 現在の岡南飛行場前の駐車場で実施している【露天型車庫】と同じ方式を取っていた。
  35. ^ 旧、二号線との交差する備中庄 - 矢部(矢部公民館前)間を引き継いだ。ただし、備中庄バス停ほか数箇所のバス停は廃止となった。
  36. ^ 中庄駅 - 川崎医大構内(病院正面の一階・救急外来入り口前のバス停)- 庄支所前 - 二本松(庄駐在所の南50m先)- 庄新町(JRバス時代の様な庄パークヒルズ町内回りはなく、倉敷市営バス時代から設置されていた庄パークヒルズ西側入り口横の中祥内科前のバス停を使用)- 矢部(矢部公民館前)間を開設。ただし、備中庄バス停ほか数箇所のバス停は廃止となった。
  37. ^ その後、両備グループの岡電バスへ移管。
  38. ^ 当時は吉備水道局として、簡易水道ではなく浄水池を備えて独立した水道局が、現在のRSKバラ園東南側の足守川土手下に施設されていた。
  39. ^ し尿汲み取り業者は、岡山市ながらも現在でも便宜上、倉敷市の指定業者としての認可料金で、下水道のない地区で重宝されている。
  40. ^ この直線区間は岡山県道389号吉備津松島線や、旧・岡山県道73号箕島高松線の各県道の一部区間になっている。
  41. ^ 開設当初はあまりマイカーも普及していなかったほか、後のコンビニ戦争状態や医療飽和(特に歯科医院)となるような劇的な商業環境の変化もなく、南部の上東地区に集中する役場・農協・公民館・幼稚園(当時は、小中学生の利用は禁止されていた)などへ出向くほか、備中庄交差点で国鉄バスに乗り換えての通勤・通学や吉備町地区の地元スーパーへの買出し、さらには合併2年半後に開院した川崎医科大学附属病院への通院者などが多数利用していた。このために便数も多く、また当初から大型バスで運行していた。しかし、その後の世間情勢が大きく変わるとともに利用者数も年を追う毎に激減し、本数も末期には朝・昼・夕数本までに削減されていった。また、交通量が劇的に増えて道路事情も悪くなり、バス車体はその後に中型バス、さらにはほぼ空車状態が続いていた為に、市営バス末期には十数人乗りのマイクロバスに切り替わっていた。
  42. ^ 下電バスはマイクロを持っていなかったために、やむを得ず中型バスで運行していた。この影響により、特に栗坂地区内を東西に横断する「東栗坂バス停」〜「西栗坂バス停」間は、地区住民のマイカーは無論、地区内を通り抜ける無関係の車両も多く、さらに一部で道が細くなるも途中での迂回路が全くないために、対向車とのすれ違いには困難を極めていた。
  43. ^ 小さな休憩室と、三台程度しか収容出来なかった車庫施設。
  44. ^ ちなみに、車体の両側に黒字で(086-461-××××)の表記のあるタクシーは、かつての中庄営業所に所属していた車両で、庄地区近辺に精通したドライバーに当たる確率が高い。
  45. ^ 旧・2号線上の岡山市と、倉敷市境界線
  46. ^ 国内の二階建てバス仕様の観光バスまたは、高速バスと同じ高さ。
  47. ^ (465局)以降および、(460局)はすでにほか地区で割り当てられており、また交換局も全く違うので物理的にも割り当て不可能であった。
  48. ^ 「川崎城下町」とも言われるように、多くの学生はスマートフォン一台のみという定番スタイルのほか、近年の独居老人問題も例外ではなく、固定電話を解約して生活費の切りつめで定額制の携帯への乗り換えや、離れた家族が安否確認で携帯に切り替えて持たせるなどで、庄地区における固定電話の伸びはほか地区同様に頭打ちとなってきている。
  49. ^ 庄地区最南部を、東西2kmに渡って小高い丘が広がっているため。
  50. ^ 清心女子高等学校などのいわゆる、清心学園が立地する小高い丘の北西部方面裏側となる地区。
  51. ^ グーグルアース(2022.8.13閲覧)より、施設の外周を計測して四捨五入処理により面積を計算した。
  52. ^ 現在は、元短大グランド跡地(セブンイレブン二子店南向かい側)に10階建ての大規模な学生寮二棟の建設ほか、従来からある短大体育館の施設のみを残して、実質的な短大施設自体は2021年度に岡山市北区中山下地区へ移転している。
  53. ^ 庄パークヒルズのメイン入り口となる西側入り口信号角のファミリーマートのみ。
  54. ^ ただし、庄パークヒルズのメイン入口となる西側入口より500m南下先にセブンイレブン山地店(山地地区)および、さらに400m南下の新幹線高架東側沿いに薬局兼ミニスーパーのザグザグ上庄店(上東地区)があるものの、広大な庄パークヒルズ敷地内の高齢化した住民には便利性が劣っている。
  55. ^ 建物敷地と、L字状に隣接する小さな駐車場の敷地部分。ただし、西側の細い小道を挟んだ西側の大駐車場を除く。
  56. ^ 店舗営業は、コロナ禍の影響により2021年3月末に終了し、現在は「トヨタレンタリース」の看板を全て撤去しているものの、店舗・給油設備・駐車場などの設備を全て残す形で、レンタカーの配車センターに特化している。ただし、隣接するau代理店のPiPit店舗は、PiPit看板を残して営業中。
  57. ^ グーグルマップにて計測。2022、10.18実地

続き

  1. ^ 市内へと流れる倉敷市管内の六間川としては、最初の水門(左側)と、下庄地区から庄地域へ流入する最初の最初の水門(中央側) この二つの水門の調整で、庄地域へ流入する大半の水量が決まる重要な設備となっている。
    ※中央側水門の後ろ側には、山陽本線(伯備線と兼用区間)が通っている。
    また右側の倉庫は、庄地区最大の物流施設の一角となっている。
  2. ^ 右側は、大量のガラス板がなくなり骨組みのみとなっている。
    左側は、かろうじて残る一部のガラス板と、抜け落ちた部位をトタン板で補修して、現在は倉庫代わりに使われている温室屋根の風景。
    この温室正面左端には、アース製薬のレトロ看板が残っている。
  3. ^ 例えば、正面左側ヘッドライトの右側角上および、車体右側外の縦長バックミラー上部には運転手。右側ヘッドライト真上には独り又は2人組みの生徒が写っている。
  4. ^ 現在の大規模なロータリーが、ほとんど拡張すること無く設置できたほどの基礎的な敷地を、開設当時は人家の少ない田園地域ながらも既に有していた。また、川崎医大病院が開院するまでの旧2号の入口(現在のハローズ中庄店前の交差点)から駅前までの道路周りは、途中の集落と交わる十字路付近に数件程度の民家が点在する以外は、両側ともにほぼ一面の水田が広がっていた。
  5. ^ 元々は、旧・庄農協(現・JAはれのくに岡山庄支店)が管理していたが、プロパン事業撤退のために現在は、燃料会社の『永燃』が管理している。
    50kgガスボンベを6個(300kg相当)収納している。
  6. ^ 管轄地区は、上東・下庄・栗坂・松島・二子となっている。
  7. ^ 管轄地区は、山地・西尾・庄新町・矢部・日畑となっている。
  8. ^ 現在の局社は、3代目となる。初代は、北東側の3件隣の2階建て民家(現在の民家とは無関係)を使った、「松島簡易郵便局」であった。また2代目は、道路北西反対側のコンクリート造り平屋で、「松島郵便局」であった。なお、郵便局移転後は新聞販売所・民間事務所などと入居者が入れ替わった後、2023年3月13日現在は建物は取り壊されている。
  9. ^ サンライフ倉敷内、市職員常駐。
  10. ^ 特別養護老人ホーム庄の里内、市職員常駐。
  11. ^ かつて旧・庄村時代より庄農業協同組合の直営で、旧・三菱石油のガソリンスタンド(フルサービス店舗)として、一号店の下庄地区(現在の、JA-SS 庄SSセルフ店)・二号店の松島地区(現在の、ベッセルホテル倉敷敷地の一部)・および、合併後に三号店となる矢部地区(ファミリーマート倉敷庄パークヒルズ店向かいの更地)の3店舗を維持していた。しかし、その後の農協合併によりスタンド直営事業からの撤退となり、一号店の下庄地区店舗を農協関連子会社に移転して、独立系スタンドとして継続している。
  12. ^ 2021年8月に完成した新社屋は、旧・庄村時代から数えて3代目となる。
  13. ^ わずかな職員が常駐するも窓口業務はなく、設置されているATMのみで対応している。
  14. ^ わずかな職員が常駐するも窓口業務はなく、設置されているATMのみで対応している。
  15. ^ 元・片山産婦人科医院廃業に伴い、医院建屋の一階で新たに開院。また、片山産婦人科医院の廃業に伴い、庄地区内には数年前より「川崎医科大学付属病院」以外の産婦人科医院は、事実上消滅してしまった。
  16. ^ 現在の店舗は、経営を引き継いだ大黒天物産が運営している。
  17. ^ 東西に横長の建屋全ての敷地と、建屋南側前の一帯に広がる旧・二号線沿いの、西端ミスタードーナツ店舗と、東端トヨタレンタカー店舗横道路間の駐車場区画部部。なお、建屋西側一体に広がる駐車場は、元々の水田を拡張した区域。
  18. ^ 庄新町地区の入口かど地と、地の利もよくまた店舗大きさの割に広大な駐車場を確保して当時、人口が急増する庄パークヒルズの住人を当て込んで1987年(昭和62年)9月9日開店。その後、経営が悪化して2004年(平成16年)1月5日付けで閉店・倒産となった。現在のファミリーマート(元・サークルK)店舗の駐車場が広大なのは、元・スーパー跡地を全て使っているためである。また、会社自体が、小売業者の共同仕入れ団体であるCMC傘下に入っていたために、比較的安く野菜や食料品をふくめて日用雑貨品は、この店舗だけでほぼ事足りていた。しかし、倒産の影響は大きくこの店舗以外に一通り日用品の揃う店舗は、庄小学校南側のスーパーシュフレ(下庄地区/現在のマツサカプラザ庄店)がもっとも隣接していた店舗であった。その後、この店舗も倒産・再建と数度の混乱で、一時的ながらもスパー不在エリアが広がるなど、庄新町地区住人への影響は大きかった。
  19. ^ その後、2010年代に入ってからオーナーの高齢化とコンビニ間の激戦により廃業し、残った当時の店舗で現在はリサイクルショップの、『ベクトル中庄店』が営業している。
  20. ^ 元々、親会社でもありまた主力工場ともなる山崎製パン岡山工場(中四国地区最大)が、近隣の総社市内に古くから立地している関係で、鮮度の高い商品の供給力を生かしてデイリーヤマザキは、岡山県南を中心として広範囲に店舗数を伸ばしていた。しかし、その後の市場の変化と方針変更によりコンビニエンスストアー事業は、急速に廃れてしまった。この影響により2010年初頭にはごく一部の店舗を残して撤退し、元店舗は他業種へ転業してしまった。
  21. ^ ただし、敷地内のクラブハウス(管理棟)などの建築物(コース内の一部の小規模な非難小屋などを除く)および、一部の駐車場やコースは二子地区内にあるものの、広大なコースの殆どは総社市(旧、山手村宿地区)に跨っている。なお、登記住所(倉敷市二子地区)および電話局番号は、倉敷東局の割り当て番号(462局)となっている。[28]
  22. ^ ふもとの栗坂地内からは、通勤用に私道として普通車がやっと通れる程度の幅で、急坂のルートしかない。このために、十数件の中小企業が集結して一定の規模を誇り、店舗や企業が極端に少ない栗坂地区内では群を抜いる施設ながらも、日々の入出荷物流は、当鉄工団地へ原料の鉄製品を運ぶトレーラでも通行できる進入路が、道一本で南側で隣接する早島町内の大規模な流通団地に繋がっている。この地理的環境の影響で、早島町の一角と混同されるために、庄地区内でも関係者以外には意外と知られていない、いわゆる隠れ施設となっている。
  23. ^ 倉庫建屋の敷地は、配達用ボトラーカーの駐車場および、露天の広大な空ビン保管地と、片隅に小規模な製品保管庫があった。また、倉庫南側に隣接している、古びたうすいピンク色の2階建て建屋は営業所時代の事務所兼、独身寮だった。現在も倉庫を使っている運送会社が、関連施設としてそのまま使用している。
  24. ^ 元・電電公社庄中継局の、北側2階建社屋を使用。
  25. ^ 元・電電公社庄中継局の、中央平屋建社屋を使用。
  26. ^ この様な状況では、水が流れにくくなり稲作にも影響を及ぼす原因となっている。
  27. ^ この様な状況では、水が流れにくくなり稲作にも影響を及ぼす原因となっている。
  28. ^ このような川幅の広い基幹水路でも、未だに改修されていない箇所も多く残っている。
  29. ^ 昭和の中ごろまで使われていて、廃止になって不要となった旧・有線放送電話の木製電柱を、横向きの二段にして護岸として再利用していた。
  30. ^ 基本的には、画像の右側(南側)から流れて、左端の石垣(宅地跡)にぶつかり手前側に流れているので、画像正面の護岸には長年に渡り相当な水圧が掛かり続けていた。
    この影響で通常の水田がある正面護岸は、従来からの木杭と薄木板の仮設護岸でしのいでいた。しかし、水流の関係で特に損傷が激しい正面中央のやや左側から右側部分は、市役所より希望者に支給され続けていた補修用木板が、平成の中ごろより従来の厚みと比べて半分程度となった粗末な支給資材で補修しても、複雑な水流で直ぐに朽ちると言いう状況が続いていた。
    またこの水路は、北部の上東地区へ送水する複数の基幹水路の一部でもあり、土砂流入による水量の不安定を防ぐためなどの特殊事情により、特に崩落の激しい部位の数メートル区間に渡って矢板(鉄板の杭)を打ち込んで、応急的に護岸崩落を防いでいた。
  31. ^ 基本的には、画像の左下角側(南側)から流れて右上角側から左側(石垣の左側の黒い土の部分)に伸びる石垣(宅地跡)にぶつかり、左上角側(西側)に流れているので、石垣の右下側護岸には長年に渡り相当な水圧が掛かり続けていた。
    この影響で通常の水田がある右下側護岸は、従来からの木杭と薄板の仮設護岸でしのいでいたものの、水流の関係で特に損傷が激しい部分は、市役所より希望者に支給され続けていた補修用板が、平成の中ごろより従来の厚みと比べて半分程度となった粗末な支給資材で補修しても、複雑な水流で直ぐに朽ちると言いう状況が続いていた。
    またこの水路は、北部の上東地区へ送水する複数の基幹水路の一部でもあり、土砂流入による水量の不安定を防ぐためなどの特殊事情により、特に崩落の激しい右側中央上からの部分的に数メートル区間に渡って矢板(鉄板の杭)を打ち込んで、応急的に護岸崩落を防いでいた。
    なお、矢板の裏側(水田側)は、川底を一時的に掘り下げた影響で矢板が水路側へ倒れないように、鎖で水田側へ引っ張って補強している。
  32. ^ 50kgガスボンベを6個(300kg相当)収納している。
    画像右側(階段の真下)の壁には、ガスボンベを裸置きしていた、旧・設備を撤去した跡が残っている。
    ※電話番号など、画像の一部を加工処理済。
  33. ^ ガスの補充は、タンクの正面に取り付けられている箱の管理者表記のある観音開き扉を開けて、中型のガスタンクローリー車より直接充填する。
    ※電話番号など、画像の一部を加工処理済。
  34. ^ 50kgガスボンベを8個(400kg相当)収納している。
    ※電話番号など、画像の一部を加工処理済。

出典

  1. ^ 倉敷市は2011年(平成23年)3月に策定した「都市計画マスタープラン」[1]の「地域別まちづくりの方針<地域別構想>」[2]において、庄支所管轄範囲を庄地区と設定している。
  2. ^ ネクスコ西日本HP内、停滞予測(2022.8.13閲覧)[3]より。
  3. ^ 2022年4月発行・第18版、開校50周年記念パンフレット24頁より。
  4. ^ a b c d e f g h i j 庄村誌編纂委員会『庄村誌』1971年、倉敷市
  5. ^ 【整理番号 CCG20071・コース番号 C20・写真番号 73・(2007/10/06(平19))・カラー】 ※敷地の最南端区画では現、まんだい眼科医院建屋の基礎工事姿がうかがえる。(「国土地理院の空中写真」より)
  6. ^ 【整理番号 MCG702X・コース番号 C2・写真番号 3・(1970/05/30(昭45))・未開発/白黒】 ※白黒画像の中央部のやや右斜め45度下方向に、縦長ジグソーパズルのピース状の黒い地域が、開発数年前の姿。(「国土地理院の空中写真」より)
  7. ^ 【整理番号 MCG742X・コース番号 C1・写真番号 26・(1974/05/06(昭49))・造成済/白黒】 ※白黒画像のほぼ中央部に、ジグソーパズルの大きめピース状に広がる白い地域が、現在と変わらぬ全地域に渡って一気に切り開き、建築を待つばかりの区画整理が出来上がっている。(「国土地理院の空中写真」より)
  8. ^ 【整理番号 ・コース番号 C16B・写真番号 5・1975/01/31(昭50)・建築開始/カラー】 ※前回の一軒も建っていない建築直前の撮影後、わずか一年弱の短期間ですでに屋根の見える建物が、約百数十軒ほど写っている。物件に対する人気の高さがうかがえる。(「国土地理院の空中写真」より)
  9. ^ [4]1985年(昭和60年)4月17日撮影では、まだ数十件分の空き地が点在するも、おおよその完成イメージが出来つつあった。(「国土地理院の空中写真」より)
  10. ^ この時点では、学校南側へのグラウンド拡張下準備の痕跡すら見当たらず、小学校のプールも西隣の中学校の施設(中学校敷地の西端)を共有していた、従来からの変わらない風景が広がっている。(1975年(昭和50年)2月24日撮影。「国土地理院の空中写真」より)
  11. ^ 小学校側の元々のグランド内には、うっすら(高度6000mからの撮影のため)ながらも、プレハブ校舎と新築校舎の一部がうかがえる。また、これを裏付ける状況として、中学校も含めて南側の田地を埋め立てた、広大なグランドが完成している風景もみえる。さらにこのグランドの東南角地に新設された、小学校専用のプールもみえる。(1979年(昭和54年)5月23日撮影。「国土地理院の空中写真」より)
  12. ^ 南側校舎(川沿い)はすでに完成し、中央の校舎も半分ほど完成している。ただし、中学校寄りの講堂(現・体育館)と北側に並ぶ、旧・小中学校の共同調理場(現・拡張した共同調理場)は、従来からの古い建屋のままである。(1980年(昭和55年)10月2日撮影。「国土地理院の空中写真」より)
  13. ^ 国民健康保険における「世帯主」の取扱いについて 2001年(平成13年)12月25日 厚生労働省 保険局長 通知。2019年08月20日(火)閲覧。アーカイブ。「世帯」に関する定義は無いが、以下、世帯主の法律上の定義の部分を一部太字化して引用。
    "「世帯主」とは、通常「社会通念上世帯を主宰する者」と定義されており、「世帯を主宰する者」とは、「主として世帯の生計を維持する者であって、その世帯を代表する者として社会通念上妥当とみとめられる者」と解されている。
    そこで、地方税法第703条の4の規定による国民健康保険税の納税義務者である「世帯主」については、「主として世帯の生計を維持する者であって、国民健康保険税の納税義務者として社会通念上妥当とみとめられる者」と解することとしており(昭和26年7月9日付け保発第56号都道府県知事あて厚生省保険局長・地方財政委員会税務部長通知)、国民健康保険法にいう「世帯主」の定義についても、これに準じて取り扱うこととしているところである(昭和26年7月9日付け保発第56号の2都道府県知事あて厚生省保険局長通知)。"
    ※ 以上の文言は、世帯主ページ内より抜粋。
  14. ^ 人口月報|倉敷市
  15. ^ 2021年12月20日付けで、倉敷市消防局・倉敷市建築指導課へ取材。
  16. ^ 水谷昌義「国鉄自動車路線網の盛衰(1)」、東京経済大学会誌No.230(平成14年7月発行)、pp.139-162より。
  17. ^ 「岡山県バス沿線ガイド」、社団法人岡山県バス協会(昭和63年発行)
  18. ^ [5] 「国土地理院の空中写真」の中庄駅前ロータリーに写っている。(1967年(昭和42年)3月2日に撮影)
  19. ^ 本館真前に揃ったラッピングバス|清心学園ホームページ
  20. ^ 青バスが今日で廃車|清心学園ホームページ
  21. ^ 庄新町地区コミュニティタクシー | 倉敷市役所ホームページ 都市計画部交通政策課
  22. ^ 2021年9月吉日付け、NTT西日本岡山支店発行の『NTT交換機切替工事に伴う電話の一時利用中断のお知らせ』・【本件問い合わせ先】NTTビジネスソリューションズカスタマーサクセス部SOCセンタ(岡山)、通告葉書より。
  23. ^ BLD Power Stations 株式会社HP内、「倉敷西尾Power Station」[6]施設の概要より。(2022.8.13閲覧)
  24. ^ 岡山ガス|供給区域詳細より。
  25. ^ 現院長、永井敦氏へのインタビューより(週刊ポスト2021年11月5日号)
  26. ^ 敷地北側の東西に細長く伸びる薄緑の建物と、続く3区画に分かれた黄色ブロック(空き瓶を入れた、無数に積み上げられた黄色いケースの塊)の場所が、現店舗の北より位置となる。(1975年(昭和50年)2月24日撮影。「国土地理院の空中写真」より)
  27. ^ 『1999年版 日本スーパー名鑑』株式会社商業界、1998年11月20日
  28. ^ 公式HPより。2023年3月13日閲覧。
  29. ^ 岡山県産業振興財団ホームページより。
  30. ^ 「国土地理院の空中写真」の、左端上部付近に既に完成している姿がみえる。(1967年(昭和42年)3月2日撮影)
  31. ^ くらしきの巨樹・老樹(クスノキ)欄|倉敷市ホームページより。
  32. ^ 史跡・楯築遺跡(たてつきいせき)|倉敷市ホームページより。
  33. ^ 史跡・王墓山古墳(おうぼさんこふん)|倉敷市ホームページより。
  34. ^ 史跡・日畑廃寺(ひばたはいじ)|倉敷市ホームページより。



庄地区(243億円)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:11 UTC 版)

倉敷市」の記事における「庄地区(243億円)」の解説

人口1万5千人旧2号線沿いのロードサイド店舗中心倉敷岡山中間位置し中庄地区一部分を含むため人口規模割り小売販売額が多い。

※この「庄地区(243億円)」の解説は、「倉敷市」の解説の一部です。
「庄地区(243億円)」を含む「倉敷市」の記事については、「倉敷市」の概要を参照ください。

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