実体を持つことの重要性: 新AIと推論の具現化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 08:13 UTC 版)
「人工知能の歴史」の記事における「実体を持つことの重要性: 新AIと推論の具現化」の解説
80年代末、一部の研究者はロボット工学に基づく全く新しいアプローチを主張した。彼らは機械が真の知性を獲得するには「身体」が必要だと信じていた。すなわち、知覚し、動き、生き残り、世界とやりとりできる身体が必要だとした。常識推論(英語版)のような高いレベルの能力には感覚運動能力が必須であり、抽象的推論は人間の能力としては興味深くないし重要でもないという主張である(モラベックのパラドックス)。彼らは知能を「ボトムアップで」構築することを主張した。 このアプローチは60年代以来下火だったサイバネティックスと制御理論の考え方を復活させた。もう1人の先駆者は70年代末にMITにやってきたデビッド・マーで、それ以前に視覚の理論神経学的研究で成功を収めていた。彼は全ての記号的アプローチ(マッカーシーの論理やミンスキーのフレーム)を廃し、記号処理の前にボトムアップで視覚の物理的機構を理解する必要があると主張した。なお、マーは1980年に志半ばで白血病で亡くなった。 1990年の論文"Elephants Don't Play Chess"で、ロボット工学者ロドニー・ブルックスは物理記号システム仮説(英語版)を正面から扱い、「世界はそれ自身の最良のモデルである。それは正に常に最新である。知るべき詳細は常にそこにある。秘訣は適切かつ十分頻繁に世界を感知することである」と述べ、記号は常に必要とは限らないと主張した。80年代から90年代にかけて、多くの認知科学者が精神の記号処理モデルを退け、推論には身体が本質的に必要だと主張し、その理論を「身体化された心(英語版)のテーゼ」と呼んだ。
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