宗人府とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 政治 > 機関 > 官庁 > 宗人府の意味・解説 

そうじん‐ふ【宗人府】

読み方:そうじんふ

中国明・清時代に、皇族(宗人)を監督した官庁


宗人府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 07:44 UTC 版)

宗人府 (仮名:ソウジン-フ, 拼音:zōngrén fǔ) は、宗人 (帝室) に関わる事務を司った機構。


  1. ^ a b 宗人府” (中文). 中華文史網. 国家清史編纂委員会 (中華人民共和国). 2024年1月29日閲覧。
  2. ^ a b “職官一 (宗人府)”. 明史. 72. 不詳. https://zh.wikisource.org/wiki/明史/卷72#宗人府 
  3. ^ “きゅう-ぞく【九族】”. 日本国語大辞典. 小学館. "九つの親族。父方の親族四、母方の親族三、妻方の親族二からなり、その内容には諸説がある。また一説に、異姓を含まないで直系の高祖父から玄孫にいたる九代の親族ともいう。" 
  4. ^ 参考:『明史』巻72には「晉王竾……爲左宗正」となっている。
  5. ^ 参考:『明史』巻72には「周王隸爲左宗人」となっている。
  6. ^ “第百二十二回 奉天の宮殿”. 亞細亞大觀. 亞細亞寫眞大觀社. "故宮は三大區劃に分けて考へるのが便利である。中央の一區は今の故宮博物院、東の一區が此の寫眞の大政殿を中心とし、前方に所謂十王碑を配したもの、西の一區は四庫全書で名高い文溯閣を中心としたのもである。|大政殿は嘗て篤恭殿と稱し、故宮の中でも最も早く建てられた。十王亭は正しくは言へば左右翼王亭と八旗亭とである。何れも淸朝初期の軍政を行つたところであり、特に大政殿では太宗、世祖の卽位式が擧げられた。" 
  7. ^ “順治9年4月24日段5360”. 世祖章皇帝實錄. 64. 不詳 
  8. ^ a b c d e f “職官一 (宗人府)”. 清史稿. 114. 清史館. https://zh.wikisource.org/wiki/清史稿/卷114#宗人府 
  9. ^ “じ-ろう【侍郎】”. 大辞泉. 小学館. "古代中国の官名。秦・漢代には宮門の守備をつかさどる職。唐代では中書省・門下省の長官。その後は、六部の次官の称。" 
  10. ^ 参考:『清史稿』巻114には「筆帖式二十有四人。後增減無恆。初爲他赤哈哈番、筆帖式哈番,……」とある。「taciha hafan (タチハ・ハファン)」は漢訳「博士」で、「taciha」は学問の意。「bithesi (ビトヘシ)」は「書くこと」を意味する「bithe」の派生語で、書記の意。「hafan (ハファン)」は官吏の意。
  11. ^ a b 参考:親王→郡王→ベイレ→ベイセ→鎮国公→輔国公→鎮国将軍→輔国将軍、この順で低くなり、下にもまだ続くが、ここでは関係ないため省略。
  12. ^ “順治18年5月16日段8097”. 聖祖仁皇帝實錄. 2. 不詳. "向來各部院事務、設有王、貝勒等管理。因、設啓心郎。後止、設尚書等官。故、將啓心郎盡裁去。" 
  13. ^ “順治15年7月23日段7171”. 世祖章皇帝實錄. 119. 不詳. "啓心郎、原、因諸王、貝勒管理部院事務而設。今、宗人府啓心郎仍照舊。其餘部院、滿漢啓心郎、俱著裁去、照原品另用。" 
  14. ^ “康熙12年8月6日段11097”. 聖祖仁皇帝實錄. 43. 不詳 
  15. ^ “康熙12年7月22日段11084”. 聖祖仁皇帝實錄. 42. 不詳 
  16. ^ “經濟彙編 (官制部彙考三十五)”. 欽定古今圖書集成. 57. 不詳. https://zh.wikisource.org/wiki/欽定古今圖書集成/經濟彙編/銓衡典/第057卷 
  17. ^ 参考:この表は雍正3年 (1725) に上梓された『欽定古今圖書修正』の情報をもとに作成したが、同書の情報は不充分であるため、『清史稿』などの記載をもとに一部補った。
  18. ^ 参考:清朝の爵位および世職 (等級つきの世襲官職) は、世襲回数ごとに一等級ずつ降格する。但し中には功績の多大な人物に世襲回数無制限の恩賞を与えた例もあり、特に宗室に与えられる世襲回数無制限の王爵は「鉄帽子王」と呼ばれる。
  19. ^ 宗人府左司”. 中華文史網. 2024年1月29閲覧。
  20. ^ 宗人府右司”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。
  21. ^ 宗人府经历司”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。
  22. ^ 宗人府经历”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。
  23. ^ 宗人府当月司”. 中華文史網. 2024年1月29閲覧。
  24. ^ 宗人府黄档房”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。
  25. ^ 宗人府银库”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。
  26. ^ 宗人府则例馆”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。
  27. ^ 宗人府御史处”. 中華文史網. 2024年1月29日閲覧。


「宗人府」の続きの解説一覧

宗人府

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 09:18 UTC 版)

明朝の官職」の記事における「宗人府」の解説

宗人府は、明の皇帝九族宗族名簿管理しており、族譜書き宗室の子弟の嫡庶封号、嗣職襲位、生没年婚姻葬儀などを記録していた。すべての宗室要求記録して皇帝報告し賢才引き合わせ損得記録した。明の洪武3年1370年)に大宗正院設立した洪武22年1389年)に宗人府と改名し親王管理させ秦王朱樉初代宗人令とした。その後元勲外戚大臣兼領となり、専任官僚置かず事務礼部移った官職定員品階部署備考宗人令 1人 正一品 宗人府 左宗正 1人 正一品 宗人府 右宗正 1人 正一品 宗人府 左宗人 1人 正一品 宗人府 右宗人 1人 正一品 宗人府 経歴 1人 正五品 宗人府経歴

※この「宗人府」の解説は、「明朝の官職」の解説の一部です。
「宗人府」を含む「明朝の官職」の記事については、「明朝の官職」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「宗人府」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



宗人府と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「宗人府」の関連用語

宗人府のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



宗人府のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの宗人府 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの明朝の官職 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS