安芸井上氏
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信濃井上氏と同族。南北朝時代ごろに安芸国に移る。戦国時代、井上光兼は近隣の有力国人である毛利氏に接近。毛利弘元の信任を得て勢力を伸ばし、光兼の弟・井上元盛、光兼の子である井上元兼と井上元貞、光兼の弟・光貞の子である井上就在、一族の井上元吉の5名は、毛利幸松丸死後に毛利氏の家督相続を毛利元就に依頼する毛利氏宿老15名の連署状に署名し、元就の家督相続に貢献した。 安芸井上氏は毛利家中で重きをなしたものの、やがて傲慢な振る舞いで元就の怒りを買い、天文19年(1550年)7月12日から7月13日にかけての井上氏粛清により、元兼をはじめとして、井上就兼、井上就澄、井上元有など安芸井上氏の一族30余名が誅殺された。 しかし、命を助けられた一族の者もおり、助命された人物としては引き続き毛利氏に仕えた井上就在、井上元光、井上光俊、井上就正、井上就重や、小早川隆景に仕えた井上春忠などが知られる。 なお、助命された井上就在の子孫には、明治の元勲である井上馨が出ている。この他、毛利斉煕の側用人の一人に「井上三郎兵衛」、文政年間の長府藩の城使に「井上丹下」の名がある。
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