孝女白菊詩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 23:05 UTC 版)
井上の漢詩『孝女白菊詩』は、狩りにいって行方不明になった父を慕う孝女を詠った詩である。これは、西南戦争の済んで間もない1880年から1881年頃、井上がドイツ留学をはばまれ憤懣やるかたなく、空想のおもむくままに書いたフィクションの詩であり、1884年(明治17年)発行の「巽軒詩抄(金編)」に採録されている。 これに刺激を受け、落合直文が『孝女白菊の歌』を作り、全国的に感涙を呼んだ。独訳英訳もされた。現地の阿蘇には碑や墓などが、関係ない処に作られている。 井上は、ドイツ留学時代にゲオルク・フォン・デア・ガーベレンツ宅で知り合ったカール・フローレンツにも『孝女白菊詩』の解説をした。フローレンツは井上の勧めで来日して東京帝国大学のドイツ語教師となり、ドイツにおける日本学研究者としても活躍した。
※この「孝女白菊詩」の解説は、「井上哲次郎」の解説の一部です。
「孝女白菊詩」を含む「井上哲次郎」の記事については、「井上哲次郎」の概要を参照ください。
- 孝女白菊詩のページへのリンク