婦人子ども図書館開館と中央図書館建設への動きとは? わかりやすく解説

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婦人子ども図書館開館と中央図書館建設への動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 17:41 UTC 版)

東久留米市立図書館」の記事における「婦人子ども図書館開館と中央図書館建設への動き」の解説

1971年昭和46年2月市内の上の原地区に、面積39m2、蔵書約5,000冊の婦人子ども図書館開館する。これは、東久留米団地自治会が、その団地集会室ではじめ自治会文庫を市に寄付したのである同年4月には、団地自治会働きかけもあり、移動図書館「くるめ号」が巡回業務開始した開始当時駐車地は21ヶ所)。この時期東久留米市では、自治会家庭文庫活動公共図書館をつくる運動後押ししたが、中でも文庫連絡会長図書館協議会委員務めた山本世の功績大きい。 1972年昭和47年10月文庫連は勉強会日野市立図書館長の前川恒雄招へいし、講演新し市民の図書館はどうあるべきか」を行い11月には市長および教育長それぞれ懇談の場を持っている。こうして1973年昭和48年)には、図書選定委員会を前身とする図書館運営員会が発足するが、役割としては購入図書選定のみではなく毎回理想図書館あり方討議され運営協議会的な性格を持つ会であったこうした中、中央図書館建設計画が市の長期総合計画昭和53年-60年)に盛り込まれた。 翌1974年昭和49年11月19日ひばりが丘図書館開館し12月には中央図書館の開館見据えた図書館条例制定された。 東久留米市市民公共図書館建設のための運動起こった同時期、東京都美濃部知事のもとで、区部多摩地域図書館設置状況格差是正のため、昭和46年度から市町村対し図書館新設する際に必要な建設費二分の一の額の補助金と、開設後3年間の図書購入費の二分の一補助するという振興政策推進行っていた。東久留米市では、人口急増により学校建設急務であったため、中央図書館建設において他市に遅れを取っていた。1975年昭和50年9月初代東久留米市立図書館長として畔上知男が就任して、ようやく中央図書館建設計画現実的になるが、1976年昭和51年)、前年オイルショックに伴う不況影響受けた東京都財政悪化により、図書館建設助成事業はわずか6年間で中断されてしまう。しかし、振興政策継続願って結成された「三多摩図書館考える会」に市民らが参加し知事質問状を出すなど熱心な運動行って最終的に図書館建設分の交付金8千万円を獲得する

※この「婦人子ども図書館開館と中央図書館建設への動き」の解説は、「東久留米市立図書館」の解説の一部です。
「婦人子ども図書館開館と中央図書館建設への動き」を含む「東久留米市立図書館」の記事については、「東久留米市立図書館」の概要を参照ください。

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