好角家としての一面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 06:10 UTC 版)
「澤村田之助 (6代目)」の記事における「好角家としての一面」の解説
六代目田之助は幼少の時に六代目尾上菊五郎に連れられて初めて国技館(戦前の旧両国国技館)へ相撲観戦したが、その日が横綱:双葉山定次が安藝ノ海節男に敗れて70連勝ならずという歴史的な日(1939年1月場所4日目)であったことを語っている。 長じてからも本業の歌舞伎の舞台の合間に国技館へ通うなど好角家としても知られるようになり、2003年に日本相撲協会からの委嘱を受けて横綱審議委員会委員に就任。横審委員として相撲への愛情から角界に対して数々の提言・苦言を呈するなどしている。在任中は度々北の湖理事長に対して本場所を年4回に減らして力士の負担を軽減するように提案していた。朝青龍が不祥事の責任を取って引退した際には引退直後にハワイを訪れ、その後のモンゴルでの会見で相撲協会への不満を表明したことに「実に傍若無人でとても不愉快に感じた。お客さんもそう思ったから、大阪場所も彼がいなくてもにぎわったんじゃないですか」と不満を爆発させ、引退相撲が計画されていることについて「横審が協会に中止を要請することはないですが、私は反対です」と話した。
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