失踪まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 07:13 UTC 版)
チェニジアのベジャで駐留フランス軍兵士の息子として生まれる。一時は軍人の道に進もうとするも断念し、アルジェ大学(フランス語版)で数学を専攻。1953年に卒業するとルネ・ド・ポッセル(フランス語版)の下で助手をしながら論文執筆に取り組むのと相前後して、アルジェリア共産党(フランス語版)に入党。1954年にアルジェリア戦争が勃発すると既に非合法化されていたアルジェリア共産党のメンバーとしてアルジェリア民族解放戦線などと共に独立側で活動するが、アルジェの戦いで共産党幹部を匿ったことを党員仲間がフランス軍に自白し1957年6月11日に自宅を急襲される。そのまま軍に拘束後、一切の消息を断つ。 なお彼が執筆していた論文はほぼ完成状態で、師のポッセルによって査読の機会を得た。
※この「失踪まで」の解説は、「モーリス・オーダン」の解説の一部です。
「失踪まで」を含む「モーリス・オーダン」の記事については、「モーリス・オーダン」の概要を参照ください。
- 失踪までのページへのリンク