太平天国の建国とは? わかりやすく解説

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太平天国の建国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 02:17 UTC 版)

洪秀全」の記事における「太平天国の建国」の解説

道光30年12月10日1851年1月11日)、洪秀全は起義を宣言して清朝反旗を翻し天王称して太平天国建国した。咸豊2年1852年)、太平軍は広西から湖南へと進出咸豊3年1853年)には南京占拠天京改称し太平天国首都定めた太平天国前期では軍事関係全て軍師により指揮され洪秀全軍事行動と距離を置いて朝政司っており、その大権東王楊秀清によっていた。 天京首都定めた後、洪秀全四書五経禁書としようとしたが楊秀清はこれを拒否結局禁書指定行われなかったが、この事件きっかけ洪秀全楊秀清溝が深まることとなった洪秀全同じく楊秀清に不満を募らせている北王韋昌輝翼王石達開燕王秦日綱協力し咸豊6年1856年)に3人に対し楊秀清誅殺密詔出し9月には天京事変発生楊秀清韋昌輝秦日綱粛清された。事件後は翼王である石達開実権掌握したが、洪秀全は兄である洪仁発・洪仁達をそれぞれ安王福王封じて重用し石達開牽制結果石達開の不満を引き起こし石達開大軍率いて洪秀全指揮離脱した一連の政変太平天国実権掌握した洪秀全であるが、これ以降太平天国勢力急速に衰えていく。なお安王と福王見識才能もなく、はなはだ評判悪かったこともあり1859年王号剥奪されている。

※この「太平天国の建国」の解説は、「洪秀全」の解説の一部です。
「太平天国の建国」を含む「洪秀全」の記事については、「洪秀全」の概要を参照ください。

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