大西洋横断ケーブルの敷設、1857-1858年とは? わかりやすく解説

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大西洋横断ケーブルの敷設、1857-1858年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 00:16 UTC 版)

ナイアガラ (蒸気フリゲート)」の記事における「大西洋横断ケーブルの敷設、1857-1858年」の解説

ナイアガラ1857年4月22日ニューヨーク英国に向け出港5月14日ケント州グレーブゼンド(Gravesend)に到着した大西洋横断の際の航海記録New York Daily Times(現ニューヨーク・タイムズ)の特派員によって記録され1857年5月14日出版されている。英国到着後、ナイアガラ最初の「大西洋横断海底ケーブル敷設のための資材積み込んだ海底ケーブル米国海軍海洋学者であるマシュー・モーリーが発見したニューファンドランドからアイルランドにかけてつらなる海底山脈モーリーはこれを「海底電信台地(telegraphic plateau)」と名付けた)に沿って敷設することになっていた。ナイアガラアイルランドヴァレンティア島から西に向かうが、8月11日数百マイル敷設した地点ケーブル切れてしまった。ナイアガラ11月20日ニューヨーク戻り次の任務備えて12月2日には一旦任務解かれる。翌1858年2月24日、再び任務下った3月8日出港3月28日プリマス到着する。そこで英国海軍戦列艦アガメムノンHMS Agamemnon)と実験行った。両艦はプリマス戻り資材搭載後、7月29日大西洋洋上会合した。そこでケーブル両端をつなぎ合わせ、両艦はケーブル敷設しながらそれぞれの母国向かった8月5日ナイアガラ艦載ボートニューファンドランドのブリルズ・マウス島(Brills Mouth Island)にケーブル陸揚げ成功英国側でも同日ケーブル陸揚げされた。8月16日最初の通信ヴィクトリア女王からブキャナン大統領宛に発信された。しかしながら、この最初海底ケーブルは3週間ほどで作動しなくなり、完全な成功1866年まで待たねばならなかった。

※この「大西洋横断ケーブルの敷設、1857-1858年」の解説は、「ナイアガラ (蒸気フリゲート)」の解説の一部です。
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