大臣 (古代日本)
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大臣(おおおみ)とは、古墳時代におけるヤマト王権に置かれた役職の一つ。王権に従う大夫を率いて大王(天皇)の補佐として執政を行った。姓(かばね)の一つである臣(おみ)の有力者が就任した。
注釈
出典
- ^ 倉本一宏『蘇我氏 古代豪族の興亡』(中央公論新社、2015年)
- ^ 宝賀寿男「于道朱君の衝撃」『古樹紀之房間』、2007年。
- ^ a b 佐藤長門『日本古代王権の構造と展開』吉川弘文館、2009年、第1部第3章および第2部第2章(論文初出はともに2001年)
- ^ 応神記。宮主矢河枝比売の父。系図・伝承では米餅搗大使主の弟、または同一人物。
- ^ a b c d e f g h 『先代旧事本紀』の天皇本紀の任官記事
- ^ 『新撰姓氏録』和泉國・神別・天神「榎井部」項より
- ^ a b c d e f 『先代旧事本紀』の天孫本紀による
- ^ a b 新撰姓氏録より
- ^ 『三国史記』45巻、列伝「于老」より。同様の話は神功紀にも収録されているが、“倭国大臣”ではなく“新羅宰”と書かれる。
- ^ 小野神社の伝承
- ^ 『先代旧事本紀』神皇本紀の応神四十年正月
- ^ 『播磨国風土記』讃容郡中川里・弥加都岐原
- ^ 黒田達也「日本古代の「大臣」」『朝鮮・中国と日本の古代大臣制-「大臣・大連制」についての再検討>京都大学学術研究会、2007年(初出は1983年)
- ^ 倉本一宏「氏族合議制の成立ー「オホマヘツキミ-マヘツキミ」制ー」『日本古代国家成立期の政権構造』吉川弘文館、1997年(初出は1991年)
- ^ 佐藤『古代日本の大臣制』pp17-18.
- ^ 篠川賢「物部氏の成立」『東アジアの古代文化』95号、1998年
- ^ 篠川賢『継体天皇』吉川弘文館〈人物叢書〉、2016年
- ^ 加藤謙吉『大和の豪族と渡来人-葛城・蘇我氏と大伴・物部氏-』吉川弘文館、2002年
- ^ 佐藤琢郎「大臣制の成立と日本古代の君臣秩序」『古代日本の大臣制』塙書房、2018年
- 1 大臣 (古代日本)とは
- 2 大臣 (古代日本)の概要
- 3 記紀以外の大臣
- 4 「オホマヘツキミ」論
「大臣 (古代日本)」の例文・使い方・用例・文例
- 閣僚,大臣
- 総理大臣と会談する
- 代表団は空港で外務大臣の出迎えを受けた
- 次期大臣
- 大蔵大臣
- 財務大臣
- 大臣は役人たちから非難を浴びた
- 総理大臣は経済再生の新計画を提示した
- 訪問中の総理大臣に敬意を表して歓迎会が開かれることになった
- その総理大臣は非常に短期間でもののみごとに人気をなくした
- 総理大臣
- 彼は大臣の有望な候補者である
- その総理大臣は新しいタイプだ少なくともほとんどの人の目にはそう映っている
- 総理大臣は5月にブラジルを訪問すると発表されている
- その国を代表して外務大臣が会談に出席した
- 法務大臣はきのう辞職した
- その大臣はスキャンダルのあと辞任せざるを得なかった
- 一味は大臣の暗殺を企てた
- 外務大臣
- 大臣はこの人事異動を承認していない
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