大清宝鈔
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大清宝鈔(だいしんほうしょう、簡: 大清宝钞、繁: 大清寶鈔)とは中国の清王朝が発行した紙幣を指す。1853年(咸豊3年)から1859年(咸豊8年)にかけて発行された。以後、宝鈔と略記する[注釈 1]。
注釈
- ^ 中国の歴代政府の発行した紙幣は「鈔」とも略称される[1]。
- ^ 宋の交子[3]、元の交鈔[4]、明の大明宝鈔[5]はいずれもインフレーションを起こした。
- ^ 銀1両は銅銭1000枚にあたり、その重量は4キログラムあった[2]。
- ^ 銭荘の発祥は唐、宋の時代にさかのぼる[7]。
- ^ 典当は預金業も行い、銭荘は遠隔地の資金移動のために他所での支払命令書にあたる会票を発行する場合もあった[8]。
- ^ 清の時代には人口が急増したが、官僚や胥吏の恣意的な税徴収は農村を疲弊させ、流民化と社会不安が起きた[10]。不在地主の増加、税負担を回避できる郷紳と負担が増えた自作農民や庶民地主層の格差拡大、その結果としての対官憲闘争の全国化も招いた[11]。
- ^ その他の反乱として、馬朝柱の弥勒信仰による活動、苗族の乱、海盗の乱などがあった[13]。
- ^ 太平天国の乱の戦費は二千数百万両に及んだ[15]。また太平天国軍の側でも戦費調達のために銅銭を発行したため、貨幣制度の混乱を深めた[16]。
- ^ 特に近代的な銀行を求めたのは、洋務派と呼ばれる官僚や知識人だった[22]。
- ^ 袁世凱は、国内外の損得をコントロールするための国家の銀行の設立を急務とした[23]。
出典
- ^ 黒田 2020, p. 123.
- ^ a b 李 2012, p. 274.
- ^ 松丸ほか編 1997, p. 358.
- ^ 湯浅 1998, pp. 176–177.
- ^ 宮澤 2002, pp. 109–111.
- ^ a b c d e 三木 1956, p. 484.
- ^ a b c 李 2012, pp. 274–275.
- ^ a b c d 松丸ほか編 1999, p. 474.
- ^ 何 2019, pp. 107–108.
- ^ 松丸ほか編 1999, p. 384.
- ^ 松丸ほか編 1999, p. 476.
- ^ 松丸ほか編 1999, pp. 360, 387.
- ^ 松丸ほか編 1999, pp. 384–385.
- ^ 松丸ほか編 2002, p. 3.
- ^ 何 2019, p. 58.
- ^ 何 2019, p. 107.
- ^ 何 2019, p. 57.
- ^ 植村 1994, p. 17.
- ^ a b 植村 1994, p. 16.
- ^ a b c 植村 1994, pp. 17–18.
- ^ 黒田 2020, pp. 109–110.
- ^ 何 2019, p. 15.
- ^ 何 2019, p. 71.
- ^ 何 2019, pp. 15, 117.
- ^ 何 2019, p. 134.
- ^ 植村 1994, p. 299.
- ^ 湯浅 1998, p. 407.
- ^ 三木 1956, p. 485.
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