大戦以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/05 21:37 UTC 版)
「ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群」の記事における「大戦以降」の解説
第一次世界大戦の後、1920年からは、周辺の炭坑と連携して維持と発展が図られた。そして、第4・第5の双採掘坑の更新のため、1927年までかけて第11坑が追加された。 1928年に入ると、中心となる坑を建設し、採掘量を増加させることが決定された。建築的にも技術的にも一流の施設を目ざし、設計が建築家フリッツ・シュップ(ドイツ語版、英語版)(Fritz Schupp, 1896 - 1974年)とマルティン・クレマー(ドイツ語版)(Martin Kremmer, 1894 - 1945年)に依頼され、当時影響力があったバウハウスの考えに沿ってデザインされた。1930年に建設され、1932年に稼動を開始した第12採掘坑の2本の足を有す立坑櫓は、最も近代的で「世界一美しい」と言われており、その後の櫓の模範となった。こうして発展した炭坑には、1937年に全体で6,900人が従事し、産出量が計 360万 t に達した。 第二次世界大戦による被害は少なく、1953年には産出量が 240万 t に回復している。その後も施設の改修が進められ、1961年には西側の用地で新たなコークス工場が操業を開始した。1日に1万トンの石炭をコークスにする能力がある、ヨーロッパ最新鋭の施設であったが、後にヨーロッパの鉄鋼業が衰退し、コークスの需要が減少したため、1993年7月末で停止されている。 1968年からは経営がルール石炭会社(ドイツ語版、英語版)(Ruhrkohle AG)に移され、操業が継続された。しかし、1983年に操業を停止する方針が決定され、1986年12月23日を最後に、操業が止められた。その後も操業が継続されたコークス工場も、1993年に停止されている。
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