大塚製薬サッカー部
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大塚製薬サッカー部(おおつかせいやくサッカーぶ)は、かつて存在した日本のサッカークラブ。大塚製薬のサッカー部として1955年に創部した。1994年から1998年までは「大塚FCヴォルティス徳島」と呼称していた。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟の徳島ヴォルティスの前身となったクラブである。
注釈
- ^ JFLでの1シーズン無敗記録はこの時のみ。この時の33試合連続無敗はJFL記録で、2003-04年の2シーズンにかけて大塚自身が作ったタイ記録と共に現在も残っている。
出典
- ^ a b 栄光への軌跡,63頁
- ^ a b c d 「Jリーグ誘致、飯泉知事はゴール導けるか」 朝日新聞徳島版、2003年11月23日、2014年3月15日閲覧
- ^ “徳島ヴォルティス踊る阿呆がやってくる。”. Number Web (2004年12月16日). 2024年3月4日閲覧。
- ^ 栄光への軌跡,30頁
- ^ メンバーは、GK川北裕介、DF石川、MF筒井、FW大島。
- ^ a b 栄光への軌跡,38-39頁
- ^ 栄光への軌跡,246-248頁
- 1 大塚製薬サッカー部とは
- 2 大塚製薬サッカー部の概要
- 3 チーム成績・歴代監督
- 4 主な結果・タイトル
- 5 年度別入場者数
大塚FCヴォルティス徳島
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「大塚製薬サッカー部」の記事における「大塚FCヴォルティス徳島」の解説
1995年、大塚製薬サッカー部は従来の体制のまま、「大塚FCヴォルティス徳島」という愛称で活動する事になった。ヴォルティスとは古くから有名な鳴門海峡の渦潮からヒントを得たもので、イタリア語で「渦」のヴォルティチェ(VORTICE)に、T-土佐(高知県)、I-伊予(愛媛県)、S-讃岐(香川県)と四国各地の旧国名を絡ませ、四国を代表しようとする姿勢を表現したものと説明された。このチーム名は、Jリーグ加盟を前提として1994年に市民からの公募で選ばれたものである。 1998年、翌年に創設されるJリーグ ディビジョン2(J2)への参加チームが発表されたが、大塚FCはこのJリーグ拡大に参加しなかった。一方、J2創設により消滅する予定だったJFLだが、アマチュアの全国リーグ存続を求める本田技研の要望を入れて1999年から「日本フットボールリーグ」(JFL)が発足し、大塚FCもJFLへ参加した。 なお、当時はブラジル人選手はプロ契約を結び、日本人選手はプロ選手と大塚製薬社員のアマチュア選手が混在していたが、Jリーグへの道が見えなくなった平岡靖成や土居義典はプロクラブへ移籍した。 1994年の天皇杯でジュビロ磐田、1996年の天皇杯で横浜マリノスにそれぞれ勝利した。 1998年12月12日、大塚FCは第78回天皇杯3回戦で横浜Mへの吸収合併が決まっていた横浜フリューゲルスに敗れた。これは「ヴォルティス徳島」の名前で臨む最後の試合となり、ゴールを決めたMFアウミールとFW磯山和司は、それぞれJ2のFC東京と大宮アルディージャへ移籍した。
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