大原高安
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/22 03:16 UTC 版)
大原 高安(おおはら の たかやす)は、奈良時代の皇族・貴族・歌人。当初高安王を称するが、大原真人姓を与えられ臣籍降下した。敏達天皇の孫である百済王の後裔[1][2][3]。筑紫大宰率・河内王の子[4]。官位は正四位下・衛門督。
- ^ 『新撰姓氏録』左京皇別
- ^ 『本朝皇胤紹運録』では長皇子の孫で川内王の子とする。しかし、長皇子の生年は兄・大津皇子の生年(天智天皇2年(663年))以降である一方、高安王の生年は初叙の時期より持統天皇7年(693年)以前と想定されることから、高安王を長皇子の孫とするのは年代的に不自然である。
- ^ なお、敏達天皇の皇孫百済王の子孫という意味で、朝鮮半島の百済の王族ということではない。
- ^ a b 田中卓「紀皇女をめぐる論争について -併せて高安王の系譜を論ず-」『万葉』9,1953年
- ^ 『万葉集』巻12-3098
- ^ 『万葉集』巻8,1444,1504
- ^ 中野[2006: 47]
- ^ 『万葉集』巻4-0577
- ^ 『万葉集』巻4-0519 大伴女郎歌一首(今城王之母也今城王後賜大原真人氏也)
- ^ 『万葉集』巻4-0537~0542
- 1 大原高安とは
- 2 大原高安の概要
- 大原高安のページへのリンク