地質学者として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:24 UTC 版)
祖父の翁歩雲は清朝の内閣中書を務めた人物である。翁文灝は、1902年、13歳で秀才となり、1906年(光緒32年)に上海の震旦学院でフランス語・数学等を習得する。1908年(光緒34年)、ヨーロッパに留学し、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学に入学して、地質学(特に岩石学)を専攻した。1912年(民国元年)、中国史上初の地質学博士となった。 帰国後は北京政府で地質学の専門家として各職を歴任し、1921年(民国10年)、丁文江の後任として農商部地質調査所長に就任した。その翌年には、中国地質学会副会長に就任している。1924年(民国13年)、北京大学・清華大学で教授となった。その後も、国内各地で実地調査を進め、地質学・鉱物学・地震学・地理学等の様々な分野において多くの論文・著作を発表した。1934年(民国23年)には中国地理学会の初代会長に選出された。さらに、国際地質学会でも副会長を務めたほか、海外の大学からさまざまな栄誉を受賞している。
※この「地質学者として」の解説は、「翁文灝」の解説の一部です。
「地質学者として」を含む「翁文灝」の記事については、「翁文灝」の概要を参照ください。
- 地質学者としてのページへのリンク