園部城時代とは? わかりやすく解説

園部城時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 12:47 UTC 版)

園部城」の記事における「園部城時代」の解説

西部小麦山の山頂には三層小麦建っていた。計画時には櫓門を3ヵ所と本丸の4ヵ所を含む9ヵ所の建設予定であったが、最終的に櫓門3ヵ所と本丸の巽太鼓櫓巣鴨乾櫓の4ヵ所と小麦を含む計5ヵ所の建てられた。現存しているのは、巽城門櫓門高校校門)、番所太鼓櫓八木町安楽寺移築)や、石垣一部や堀も埋め戻され幅も狭くなった部分もあるのがその痕跡とどめている。外堀小麦山を囲んで2kmもあった。 園部城本丸南北長く長方形多く屈曲をつけた形状であった1869年明治2年)に新築完成した日本の城郭史の中で最期建築物となる。二重櫓番所櫓門付属土壁一直線上に並び現存している。二重櫓は、本丸南東にあり、南東を表す巽呼ばれている。本丸には4つ二重櫓建っていたが巽最大園部城象徴でもあった。巽以外の城門1872年明治5年入札によって払下げたのちに、破却もしくは城外移築している。 巽内部半間武者走り四周取りその内側が1室となっている。巽のような中規模武者走りを持つような例は少なく立派な造りになっている。巽は、1階の東と南面大きな出窓設けている。巽のような中規模一間ほどが普通で、出窓大き過ぎると言える出窓軍事的に重要な設備で、出窓側面狭間設けて城壁近づく敵兵横矢加える。また出窓下方石垣張り出す仕組みとなっていて、直下に近づいた敵に対して石落とし撃退する。しかし巽は、石垣上に十分張り出しておらず、単なる飾りにしかならない。また巽は軒の出が長いことも特徴である。城郭らしくなく寺社建築のようでもある。また櫓門城郭としては変わった特徴がある。二階が頭をぶつけるほど低く鉄砲や弓を自由に扱えず、格子の下の壁も低すぎて敵からの銃弾防げない。これ以外にも変わった特徴として、正方形大型狭間正面格子窓両脇側面背面にも設けられている。これは窓としては小さく格子も無い、鉄砲狭間としては大きく大砲を撃つ特別な狭間のようにも見える。また一般的な櫓門比べて整った外観になっている。巽城門城郭としては変わった特徴数多くみられ、城の建築物でありながら寺社的な建築様式みられる。この建築携わった大工やそれを指導した園部藩城郭十分な心得無かったものと思われている。

※この「園部城時代」の解説は、「園部城」の解説の一部です。
「園部城時代」を含む「園部城」の記事については、「園部城」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「園部城時代」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「園部城時代」の関連用語

1
4% |||||

園部城時代のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



園部城時代のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの園部城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS