回復への努力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/12/20 21:27 UTC 版)
救出されたアンナは養育院に引き取られた。救出された直後のアンナは周囲のすべてに無関心で、仰向けにぐったりとベッドに横たわり、視覚や聴覚もほとんど機能していないように思われた。言葉をしゃべったり食べ物を噛んだりすることはできなかった。病気の兆候はみられないが栄養失調であると診断されたが、栄養価の高い食事を与えられたりマッサージされたりといったことが功を奏し、数日後にはある程度体を動かせるようになった。10日後には味覚・視覚が機能していることが確認され、身体能力は少しずつ改善していったが他の面ではあまり回復がみられなかった。 11月11日に養育院を離れ、里親に引き取られる。そのわずか1ヶ月後には、階段を昇り降りしたりドーナツを食べたりできるようになった。救出されてから里親に引き取られる前までにアンナがあまり回復をみせることができなかったのは、養育院の環境が適切でなかったからであると考えられる。アンナの周りには言葉を話せる人が看護婦のほかにはあまりおらず、学習のきっかけとなるような相互干渉が十分得られなかった。それに対し、里親の家ではアンナはつきっきりで面倒を見てもらい、適切な刺激を受けることができた。 翌年の1939年8月30日にアンナは障害児の教育施設に移された。食事や排泄の習慣がほぼ確立され、正常な歩行もできるようになった。また、ある程度言葉を理解できるようになり、短い文章を話せるようにはなったが知的発達は極めて緩慢だった。 アンナは1942年8月6日、レプトスピラ性黄疸により死去した。10歳半で死亡したことになるが、死亡する直前の時点での精神年齢は2歳半程度とされる。
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