和紙の抄造はじまりの地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:35 UTC 版)
越前和紙の始まりについてははっきりしていないが、全国でも例のない紙漉きの紙祖神である川上御前伝説があり、越前市大滝町の岡太神社に祀られている。室町時代には流滝寺の保護下に紙座(組合)が設けられた。江戸時代から明治・大正・昭和・平成に入る前後頃までは、越前の襖紙の需要は全国の大半を占めていた。「越前奉書」や「越前鳥の子紙」は公家・農工商階級の公用紙として重用される。江戸時代に産地を支配した福井藩は越前和紙の技術の保護や生産の指導を行った。1665年(寛文5年)には越前奉書に「御上天下一」の印を使用することが許可される。1873年(明治6年)のウィーン万国博覧会では越前和紙の製品が「進歩賞」を獲得したが、2017年(平成29年)2月に越前市内の蔵でその賞状とメダルが発見された。
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