吉田虎一の子孫あらまし
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吉田虎一(明治15年没)の「覚書」小冊は激動する幕末期の裏面を知る好資料である。吉田繁の宇和島集古館には当時吉田虎一と児島惟謙、吉田虎一と坂本龍馬の写真が所蔵されており、また宇和島藩が軍備充実のために横浜から銃を多量密売に関して、英国通訳官アーネストサトウを介して秘かに行われた際の密書等々、貴重な多くの資料、文物は吉田繁没後、廃館時に所在不明となっている。吉田繁の父、吉田万助6名の子に恵まれる。男女を問わず武芸、文芸に秀いでる。次男嘉男、戦前宇和島でよく開催された柔剣道、相撲等でよく優勝される。男振り、体格が良く、俳優黒川弥太郎と友人関係にあり、誘われ京都撮影所で修業中、召集令状を受け、戦地へ27才で戦死する。長男吉田魁、大洲藩老女の子孫と結婚、陶芸教室、火薬類製造保安責任者。大阪ユニバーサルスタジオジャパンでアトラクション西部劇シーン等、火薬充填作業を指揮、オープン初日招待される。現在武芸をする者一人、吉田万助三女、操の長男隆久、唐手道日本第一代、範士、九段、無住心剣夕雲流の奥儀書所蔵する。昭和40年11月4日関西大学創立、80周年記念式典が行われる。関西大学創設主幹者の児島惟謙の銅像除幕式が行われ、式典参列者に贈呈するための新しい「児島惟謙伝」特に未発表の資料を紹介する必要から、児島惟謙と竹馬の友である吉田虎一の直系子孫、吉田繁に関西大学(春原源太郎法学博士中心のスタッフ)から執筆依頼があり、著述する事になる。
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