各国外交官を歴任
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戦後に、沈覲鼎は駐日代表団首席顧問に任ぜられ、来日する。1948年、駐日代表団副団長兼対日理事会中国代表となった。国共内戦後は台湾に移り、1950年(民国39年)に駐キューバ公使に任ぜられている(翌年、大使に昇格)。1956年5月、駐日大使に任命された。1959年(民国48年)に台湾へ戻り、外交部顧問兼国立政治大学外交研究所所長となっている。 翌年12月、駐コンゴ・レオポルドヴィル大使に任ぜられ、1964年1月には駐イラン大使に転じた。1967年(民国56年)、任務を終えて台湾に戻り、外交部顧問となる。翌年からは、外交部研究設計委員会主任委員、中国文化学院教授、日本研究所主任を歴任し、さらに国防研究院でも講座を開いている。1974年(民国63年)に退職した。日本語をはじめとして、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語に精通していた。三民主義の日本語版解説書の他、『中国・イラン古代文化交流』(英文書)、『コンゴ川における暴風雨の回憶(原題:《剛河暴風雨回憶》』、『日本行についての追記(原題:《對日往事追記》』)』などがある。 2000年6月、ハワイにて死去。享年107。
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