史料の残存状況をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/23 16:58 UTC 版)
「今川彦五郎」の記事における「史料の残存状況をめぐって」の解説
今川家側の史料に彦五郎の名を記したものはなく、『今川記』『今川氏系図』には彦五郎の記載はない。彦五郎に関する史料は、いずれも今川家以外の人物によって記されたものである。大永6年(1526年)に行われた今川氏親の葬儀には「今川氏親公葬記」という詳細な記録が残されているが、彦五郎が出席して記録に残されてしかるべき状況にも名はない。こうした不可解な状況から、今川義元が家督継承後に記録を書き換え、彦五郎の存在を抹消したという推測さえある。 彦五郎の死後に寿桂尼だけでなく、義元の子である氏真も彦五郎の菩提を伴っていることを裏付ける判物が伝えられている(永禄11年3月10日付円良寺宛氏真判物:「円良寺文書」所収/『戦国遺文』今川氏編2186号)。
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