原発事故と反原発運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:09 UTC 版)
1986年4月26日にソビエト連邦でチェルノブイリ原子力発電所事故が発生し、これ以後は日本でも原子力発電所や核燃料再処理工場など核施設での災害が目立つようになった。この時期は、1995年12月8日のもんじゅナトリウム漏れ事故に伴う「もんじゅ訴訟」、東海村で2度発生した被曝事故(1997年3月11日の動燃爆発事故、1999年9月30日のJCO臨界事故)を動機に、核施設への反対運動としての反核運動が起こった。その中でも、日本で最も多い核施設である原子力発電所への反対運動(反原発運動)が代表的である。 2011年3月11日の東日本大震災によって日本の東海岸の原子力発電所が被災し、福島第一原子力発電所事故が発生すると、「反原発運動」という形で反核運動が起こるようになった。福島第一原発の爆発事故は、「被爆地」として反核兵器運動を推進して来た広島市民と長崎市民にも衝撃を与え、「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」というキャッチフレーズを生んだ。
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