初登頂記録概要とは? わかりやすく解説

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初登頂記録概要

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/02 03:19 UTC 版)

ラトック」の記事における「初登頂記録概要」の解説

出典 隊の名称 ビアフォ/カラコルム登山1979 活動期間 1979年5月7月 目的 ラトック1峰初登頂 隊の構成 隊長=高田直樹43歳)、登攀リーダー=重廣恒夫31歳)、隊員=親衛32歳)、奥淳一31歳)、遠藤甲太(30歳)、武藤英生(29歳)、中村達(29歳)、渡辺優29歳)、城崎英明22歳)、医師=五藤卓雄(34歳行動概要 6月10日バインター・ルクパール氷河上4,600m地点BC建設南壁右寄りピラールートを取リ、途中ニケ所の中間デポ設けて6月20日C1(5,500m建設6月21日雪崩によりC1流失した為、以後BCC1間の第二デポC1として使用した6月30日(5,800m建設その後核心部である70mの垂壁を二日間を費して突破し7月8日C3予定地(6,300m)に到達。C3予定地はテント張るだけのスペースがなく、ビバーク繰り返すこととする7月15日南壁上部アイス・キャップ達し、C3(6,500m建設7月17日重廣、見、渡辺三隊員により第一回アタック試みるが、ロープの不足と天候の悪化引返す7月19日同じ三名にて再度アタック新雪頂上直下スラブ苦労しながら1945分初登頂成功7月22日第二次隊の三名武藤遠藤、奥)と重廣がC3より第二次登頂果す記録映像 朝日新聞社朝日放送依頼重廣恒夫撮影したラトック1峰登攀記録16mmフィルム存在する。重廣によると、現在、フィルム朝日放送所有し保管しているとのこと。これが唯一のラトック1峰頂上から撮影され動画である。そのフィルム編集し1980年朝日放送放送されドキュメンタリー番組、『未踏峰7145米:ラトックI登頂記録』(撮影レポーター重廣恒夫聞き手あべ静江プロデューサー合田 実・木村英生、編集越智 稠、制作朝日放送)がある。

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初登頂記録概要

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ラトック」の記事における「初登頂記録概要」の解説

出典 隊の名称 山学同志会ラトック4峰登山活動期間 1980年7月4日30日 目的 ラトック4峰初登頂 隊の構成 隊長=大宮求(31歳)、隊員=岡野孝司(29歳)、半田久(27歳)、田鎖勤(21歳)、医師=野田27歳行動概要 7月4日BC(4,600m)建設7日C1(5,100m)、8日C2(5,400m)を氷河上に作り9日医師を除く4人でアタック南西壁氷壁ルートをとり、6,000mでビバーク10日不調2人残して大宮半田頂上直下40mに達したが、時間切れ断念13日BCにもどり、1日休養後、15日BC発。16日C1出発した大宮岡野は5,700m、6,250mでビバーク後、18日登頂。しかし下降中、5,850mでビバークしようとしてクレバス転落大宮6日目岡野9日目に救出された。

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