初登頂記録概要
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出典 隊の名称 ビアフォ/カラコルム登山隊 1979 活動期間 1979年5月〜7月 目的 ラトック1峰初登頂 隊の構成 隊長=高田直樹(43歳)、登攀リーダー=重廣恒夫(31歳)、隊員=松見親衛(32歳)、奥淳一(31歳)、遠藤甲太(30歳)、武藤英生(29歳)、中村達(29歳)、渡辺優(29歳)、城崎英明(22歳)、医師=五藤卓雄(34歳) 行動概要 6月10日バインター・ルクパール氷河上4,600m地点にBC建設。南壁右寄りのピラーにルートを取リ、途中ニケ所の中間デポを設けて6月20日C1(5,500m)建設。6月21日雪崩によりC1が流失した為、以後はBC・C1間の第二デポをC1として使用した。6月30日(5,800m)建設。その後核心部である70mの垂壁を二日間を費して突破し、7月8日C3予定地(6,300m)に到達。C3予定地はテントを張るだけのスペースがなく、ビバークを繰り返すこととする。7月15日南壁上部のアイス・キャップに達し、C3(6,500m)建設。7月17日重廣、松見、渡辺の三隊員により第一回アタックを試みるが、ロープの不足と天候の悪化で引返す。7月19日同じ三名にて再度アタック、新雪と頂上直下のスラブに苦労しながら19時45分初登頂に成功。7月22日第二次隊の三名(武藤、遠藤、奥)と重廣がC3より第二次登頂を果す。 記録映像 朝日新聞社と朝日放送の依頼で重廣恒夫が撮影したラトック1峰の登攀記録の16mmフィルムが存在する。重廣によると、現在、フィルムは朝日放送が所有し保管しているとのこと。これが唯一のラトック1峰の頂上から撮影された動画である。そのフィルムを編集し1980年に朝日放送で放送されたドキュメンタリー番組、『未踏峰7145米:ラトックI登頂の記録』(撮影・レポーター:重廣恒夫、聞き手:あべ静江、プロデューサー:合田 実・木村英生、編集:越智 稠、制作:朝日放送)がある。
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初登頂記録概要
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出典 隊の名称 山学同志会ラトック4峰登山隊 活動期間 1980年7月4日〜30日 目的 ラトック4峰初登頂 隊の構成 隊長=大宮求(31歳)、隊員=岡野孝司(29歳)、半田久(27歳)、田鎖勤(21歳)、医師=野田政樹(27歳) 行動概要 7月4日BC(4,600m)建設。7日C1(5,100m)、8日C2(5,400m)を氷河上に作り、9日、医師を除く4人でアタック。南西壁の氷壁にルートをとり、6,000mでビバーク。10日、不調の2人を残して、大宮、半田が頂上直下40mに達したが、時間切れで断念。13日BCにもどり、1日休養後、15日BC発。16日C1を出発した大宮、岡野は5,700m、6,250mでビバーク後、18日登頂。しかし下降中、5,850mでビバークしようとしてクレバスに転落。大宮は6日目、岡野は9日目に救出された。
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