初期の拡張と組織化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 03:00 UTC 版)
「アレクサンドリア図書館」の記事における「初期の拡張と組織化」の解説
プトレマイオス朝の統治者たちはあらゆる知識をアレクサンドリア図書館に収集しようとし、図書館の蔵書を拡大するために、強引かつ金の糸目をつけない書籍購入を行った。王たちは大金を持たせた使者を派遣し、あらゆる主題とあらゆる著者の可能な限り多くの文書を購入し収集することを命じた。古い写本は希少化しており、また著者の書いたオリジナルの形をより留めていると考えられたため、より古い写本が新しいものよりも好まれていた。この収集活動においてはロドスとアテナイの書籍の見本市への旅行も行われた。ギリシア人の医療作家ガレノスによれば、プトレマイオス3世の命令の下、アレクサンドリアに入港した船から発見された本は図書館に運び込まれ、公的な書記によって複写された。そしてオリジナルの文書は図書館に収容され、写本の方を返却した。ホメロスの叙事詩の写本の入手にはとりわけ力が入れられていた。ホメロスはギリシア語教育の基礎であり、他の作者による詩よりも上位に置かれていた。このためにアレクサンドリア図書館では、これらの詩の異なる写本を数多く入手し、それぞれの写本に出元を示すラベルを取り付けていた。 古くからの作品の収集に加え、図書館を内包したムセイオンは各国から来た数多くの学者、詩人、哲学者、研究者たちの拠点となった。前1世紀のギリシア人地理学者ストラボンによれば、彼らには多額の給金、無料の食事と宿泊設備、免税権が与えられていた。高いドーム天井のある円形のダイニングホールがあり、彼らは共同で食事を取った。また、数多くの教室があり、そこで学者たちは少なくとも偶には学生に教育を施すことが期待された。プトレマイオス2世は動物学に強い関心を持っていたと言われており、そのためムセイオンには外国から集めた獣のための動物園さえあった可能性もある。古典学者ライオネル・カッソン(英語版)によれば、この着想は、もし学者たちが日常生活の全ての負担から完全に自由であれば、彼らは研究と知的探求により多くの時間を費やすことが可能であろうというものであった。ストラボンはこのムセイオンに住む学者たちをσύνοδος(synodos、「コミュニティ」)と呼んだ。早くも前283年には、彼らは30人から50人を数えたかもしれない。
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